千葉の干潟を守る会

〜いのち豊かな東京湾を子孫に残すために〜



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 本会の結成は1971年3月である。「もはや、単なる鳥の保護区づくりではなく、埋め立てに対決しなければ」という「新浜を守る会」の総括を受け継ぎ、「いのち豊かな東京湾を子孫に残す」ことをめざして、大浜代表、故石川敏雄県野島の会前会長、ほか17名で活動をはじめた。
 以来27年、石川さんをして「まさかこんなに長い間干潟を守る運動を続けようとは思わなかった」と嘆かしめるほど、次々とふりかかる開発側の埋め立て計画に対して、そのつど、地元のみならず、全国から多くの支援を得ながら「埋め立て反対」を叫んできた。
 運動のはじめは習志野市地先干潟の埋め立て反対運動で、街頭署名、デモ行進、市・県との交渉、請願・陳情などの一方、干潟の現地体験と、その有用性理解のための観察会開催などがその主なものであった。運動の盛り上がりの割りには具体的な成果は得られず、結局、習志野市前面の広大な干潟は埋め立てられてしまった。
 しかし、敗北はムダではなかった。当時、「大蔵省水面」と呼ばれていた谷津遊園前面約50ヘクタールの海域は、かつて塩田用地として大蔵省管轄地であったため、辛うじて埋め立てを免れた。これに「谷津干潟」の名称をあてて、「谷津干潟自然教育園」設置案を提唱して、その保全運動に力を注いだ。当時は埋め立て側にあった習志野市長の交代を機に、とりあえず埋め立てだけは阻止することができた。ちなみに、教育園構想は、20年後の94年7月、谷津干潟自然観察センターの開設により実現した。
 その後も、干潟内を横切る東関東自動車道(湾岸道路)および鉄道計画(JR京葉線)の反対運動を、長い名前の協議会(若松・谷津・袖ヶ浦・幕張・稲毛東関道反対連絡協議会)とともに進めた。運動の内容は、谷津遊園閉鎖後の住宅建設計画問題、干潟内の京成所有地埋め立て問題についての住宅都市整備公団との交渉、三角地(干潟を斜めに横切る湾岸道路・JR京葉線のため西南部に残った三角干潟。3ヘクタール)を確保するための対企業庁・対県交渉、国設鳥獣保護区指定運動(88年11月に実現)等々である。
 その間にも、小櫃川河口干潟観察会など、干潟の効用を広めるための啓蒙活動や、シギ・チドリ等の一斉カウント、水質調査などの活動を続けた。また、第2回干潟シンポジウム(76年)、全国自然保護大会(83年)、日本湿地ネットワーク東京集会(92年)などの大きな会議の主幹または共催をし、運動の輪を全国に広げ、諫早や藤前など多くの団体とも連繋を深めてきた。
 こうした活動の成果として、93年には谷津干潟が念願のラムサール条約登録湿地としての指定を受けるにいたり、97年には、会として「朝日 海への貢献賞」を受賞した。
 現在の最重点課題は、三番瀬埋め立て計画を阻止する運動である。そのために「三番瀬を守る署名ネットワーク」を結成し、署名運動を大々的に展開している。98年4月14日には、第1次として12万人分の署名を千葉県知事あてに提出した。さらに、同年10月15日には、第2次分として2万5000余名分(ブリスベーンからのものを含む)を提出した。
 「いのち豊かな東京湾を子孫に残す」ため、これからも活動を進めてゆく。

(文・吉川雄作、1998年11月)  



 ■ 千葉の干潟を守る会の軌跡 ■

1971年3月 「千葉の干潟を守る会」を結成。習志野、幕張海岸の埋め立て反対運動を進める。
   6月 同上の埋め立て中止請願(署名1万1000)を、県議会、市議会とも継続審議後、不
      採択に。
1972年1月 習志野地先の埋め立て着工。谷津干潟部分(50ヘクタール)は、大蔵省所管国有地の
      ため残る。
   6月 「東京湾の埋め立て中止と干潟の保全」請願を国会に提出、採択される。
1973年2月 千葉県が大規模埋め立て続行を断念。盤洲(木更津市)、市川・京葉港2期埋め立て
      計画を凍結。
1974年   国有地「通称・大蔵省水面」を「谷津干潟」と命名し、保全運動を開始。「谷津干
      潟自然教育園」200ヘクタールの設置と国設鳥獣保護区指定を要求。
1976年4月 習志野市議会が「谷津干潟自然教育園」設置請願を不採択。6月県議会も不採択。
1977年3月 参議院建設委員会で国側が「谷津干潟を鳥獣保護区に指定する予定」と答弁。
1988年11月 谷津干潟が「国設鳥獣保護区・同特別保護地区」に指定される。
1991年9月 「国際干潟シンポジウム'91諫早」にて「日本湿地ネットワーク」を結成。
      最も重要かつ緊急を要する海域として、東京湾(干潟、浅瀬の全域、とくに三番瀬)、
      名古屋の藤前干潟、博多湾の和白干潟、長崎県の諫早湾のラムサール条約緊急指定
      を要求。
1992年1月 県が千葉港湾計画改訂(京葉港2期埋め立て)を発表。
1992年2月 千葉県自然保護連合、三番瀬を21世紀に残す会と連名で、三番瀬埋め立て反対の意
      見書を県知事あてに提出。
   3月 「今、なぜ埋め立てか? 東京湾の生きもののふるさと三番瀬」を開催。
1993年3月 県が「市川2期・京葉港2期埋め立て基本計画」を発表。三番瀬埋め立て計画が全
      容を現す。
   6月 釧路で開催された「第5回サムサール条約締約国会議」に、NGOとして参加。谷
      津干潟がラムサール条約の登録地になる。
1994年7月 三番瀬埋め立て反対の署名を千葉県環境会議あてに提出するために、団体署名運動
      を展開。年内に241団体が署名。
1996年3月 オーストラリアのブリスベーンで開催された「第6回ラムサール条約締約国会議」
      にNGOとして参加。三番瀬埋め立て計画の撤回を求める署名運動を開始。
   7月 千葉県野鳥の会、三番瀬を守る会との共同よびかけで「三番瀬を守る署名ネットワ
      ーク」(署名ネット)を結成。
1997年11月 「朝日 海への貢献賞」を受賞。
1998年3月 「第二の諫早湾にするな! 東京湾三番瀬'98春の大集会」が開催された。
      署名数が12万人に。
   4月 署名ネットが、干潟の日(4月14日)に、署名第1次分12万人を県に提出。
   10月 署名ネットが、第2次分2万5000人の署名を県に提出。



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