★「三番瀬を守るシンポジウム 海はだれのものか」講演要旨


東京湾の魚と三番瀬


神奈川県水産総合研究所 主任研究員 工藤孝浩





概  要


 よく知られているとおり、魚類は成長段階によって環境要求が異なり、成長にしたがってすみかを変える。サケのように川で産まれて海に下り北洋を回遊しつつ成長するもの、逆にウナギやマアナゴのように日本沿岸から遠く離れた南方の深海で生まれ、内湾や川をさかのぼって成長するもの等、全く異なる環境を行き来しなければ生活史を完結できない種は枚挙にいとまがない。東京湾内で生活史を完結する水産重要種を含む多くの魚類についても、移動の規模こそ小さいものの、同様なことがいえる。
 イシガレイやマハゼは干潟前面のやや水深が深い泥場で、アイナメやギンポは潮下帯の比較的浅い岩礁・転石帯で、スズキやクロダイは湾口部の深場でそれぞれ産卵する。ふ化した仔稚魚は浮遊生活期を経て、遊泳力がつくと積極的に干潟・浅瀬や河口域に集まって着底し、生活の場を海底に移す。この着底期は生活環境や餌が激変するため自然死亡率が高く、生活史の中でも大変重要な時期である。干潟・浅瀬の喪失は、これらの着底・初期成長期の大切な基盤、いわば「ゆりかご」の消失を意味し、資源量の減少をもたらす。
 従来、埋め立てが漁業に与える被害は、採貝・採藻や海藻養殖業といった埋め立て海域で営まれる漁業に対してのみ認められてきた。しかし、埋め立てはそこで着底・成長し、他海域に移動してから漁獲される魚類に対しても当然影響を与える。三番瀬に関して言えば、埋め立てはイシガレイ、スズキ等の埋め立て予定海面では漁獲されない魚の資源減少を確実にもたらす。横浜や横須賀、富津等の底びき網、そして巻き網漁業者にまで被害が及び、東京湾漁業の将来の存立基盤を揺るがしかねない。
 生態系保全、食糧自給、食文化等に寄与する東京湾漁業の価値は将来ますます高まると考えられる。私は常々、東京湾漁業の将来展望は決して暗いものではないと述べているが、それには東京湾の干潟・浅瀬が最低限現状のまま保全されるのならばという前提に立っている。三番瀬がどうなるかは、東京湾漁業全体の問題でもある。
1.東京湾の魚類の成長と移動

 (1)川と海を行き来するもの
   ・川から海へ………………………………………………アユ、サクラマス
   ・海から川へ……………………………………………………………ウナギ

 (2)外洋から内湾へ
   ・マアナゴ、マイワシ

 (3)湾口から内湾へ
   ・スズキ、クロダイ、ヒラメ、ボラ、マアジ

 (4)内湾に定住
   ・マハゼ、イシガレイ、マコガレイ、アイナメ、ギンポ


2.イシガレイの生活史と三番瀬

  (1)イシガレイの漁獲量変遷………………………………真の江戸前カレイ

  (2)生活史と湾内における移動……………………着底期に干潟に強く依存

  (3)横浜の春底稚魚調査………………1988年以降姿を消し今年久々の復括

 (4)三番瀬補足調査から推定された着底量


3.環境と共生し、人と海をつなぐ東京湾漁業

 (1)物質循環の担い手………………漁獲物を通じた窒素・リンのとりあげ

 (2)食料自給の重要性………………………………21世紀の深刻な食糧不足

 (3)首都の海に息づく「獲る」「食う」文化


4.環境復元の困難性

 (1)京浜臨海部再編整備事業…………海と水辺を活かしたまちづくり検討

 (2)よいことをするより、まず悪いことをしないこと



 ■関連資料


たくましい東京湾漁業のゆくえ
〜物質循環で環境保全に一役〜


神奈川県水産総合研究所 工藤孝浩



1.食糧産業としての漁業

 レスター・ブラウン氏主宰のワールドウォッチ研究所は、近未来の食糧危機を警告する。それを裏付けるように、FAO(国連食糧農業機関)水産局は、世界の水産物需給は2010年に最悪で5000万トンも不足すると予測した。現時点の世界供給量はせいぜい7000万トン強であり、不足量は膨大だ。
 ジリジリと低下を続ける日本の魚介類自給率は、ついに6割を割り込んでしまった。漁をはじめ、第一次産業を切り捨て、世界第2位の経済大国となった日本。今は金さえあればいくらでも外国から魚を買えるが、もうすぐそんな事はできなくなる。


2.漁業が担う環境保全

 漁業は、東京湾のように閉鎖性が高く、流入負荷量が多い湾の環境保全に大きく貢献している。  窒素やリンなど、陸から海へ流入する栄養塩類は、食物連鎖の過程を経て生物体内に蓄積される。漁業は、これを取り上げて陸へ戻す行為であり、物質循環上極めて重要な役割を果たしている。もし、東京湾に漁業が存在しなければ、水質は一方的に富栄養化の方向へ進んでしまうだろう。
 近年、干潟の水質浄化機能が定量的に解明されつつあるが、特にアサリ漁業が存在する干潟の浄化機能が極めて高いようだ。漁業が、物質循環のバランスを保ち、自然がもつ水質浄化機能を高めているのである。


3.東京湾には漁業が必要

 このように、食糧自給と環境保全の観点から、今後とも東京湾に漁業は必要である。特に、大消費地の目前にある漁場は、輸送・保存等のために要するエネルギーを節減できる優位性があり、こうした価値は今後クローズアップされるはずだ。
 また、世界有数のメトロポリスとして繁栄する首都圏に生産の海があるという事実は、社会的・文化的な観点からも意義深い。魚食民族の誇りの象徴として、首都の海に息づく「とる」、「食う」文化は大切だ。


4.東京湾漁業の現状

 高度経済成長期、各地の沿岸で優良な漁場を重化学工業や港湾に明け渡すための埋め立てが、強引に押し進められた。東京湾においても、東京都下、川崎市、横浜市と漁業権の放棄が相次ぐ。資本の論理によって漁業が切り捨てられようとしたのだが、皮肉なことに、すぐ後にやってきたオイルショックで漁業者追い出しは行き詰まる。
 漁業権を失っても漁業で生きる意志を貫いた漁業者は、資源管理や自家加工などの自助努力によって、全国有数の経営が安定した生産性の高い漁業を営み現在に至る。横浜市漁業協同組合柴支所の小型底びき綱漁家は、平均年収2000万円以上と推定されている。神奈川県相模湾側では深刻な後継者不足だが、ここでは問題になっていない。
 東京湾の漁獲量は、1970年代初頭まで漁業権放棄により急減したが、以後は20年にわたり4万トン前後で推移した。これは、相模湾の漁獲量を上回る。


5.漁業を存続させるために

 東京湾漁業は、30年も前に行政に見放されながら、しぶとく生き残ってきた。広域流通の問題、すなわち、地方の産物が築地などの中央市場に集中するための地場流通の衰退と地域経済の地盤沈下とも無縁である。漁獲対象資源さえ安定していれば、大都市にしっかりと食らいついた東京湾漁業が滅亡することはないであろう。
 適度に富栄養化した海域では、特定の種の生物量が著しく高まる。現在残されている干潟や浅瀬が保全され、富栄養化が現状レベルにとどまるならば、主要資源であるアサリ、マアナゴ、シャコ、マコガレイ等は、将来にわたって相当量が漁獲可能と見積もられている。
 我が身の将来を漁業に賭ける次世代の漁業者は、資源の持続的利用に真剣だ。そこに、漁業を守り、干潟や浅瀬を復元し、水質の富栄養化対策を推進する等の施策が講じられれば、たくましき東京湾漁業の将来展望は明るい。

  《参考文献》
   ・工藤孝浩「魚の視点で首都圏の海を見たら」、
    『自治体学研究』第56号、1993年、40〜45頁。
   ・清水詢道「『きれいな海』東京湾での漁業」
    『水情報』第13巻 第7号、1993年、6〜8頁。
   ・清水 誠「水産生物」、『東京湾の生物誌』
    築地書館、1997年、143〜155頁。

     (注) 本資料の内容は、『ATT』(ATT流域研究所発行)
     の第18号に掲載されたものです。






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