千葉の干潟を守る会 代表 大 浜 清
千葉市側からみた三番瀬の全体。藤森泰さん撮影
“死んだものたちは、還ってこない以上、
生き残ったものたちは、何を判ればいい?
…………
死んだものたちは、もはや黙っていられぬ以上、
生き残ったものたちは沈黙を守るべきなのか?”
ジャン・タルジュー
(〈きけわだつみのこえ〉序文より。なお、同書中の
「人々」の語を、ここでは「ものたち」と改訳した)
干潟は、水と砂、光と風のまじわるところ、
それゆえにいのちが生まれ、いのちにみちみちたところである。
干潟は、私たちの目で、耳で、肌で、実感させてくれる。
まことに地球は「水の惑星」であり、私たちはそこに生きているのだ、と。
■ 三番瀬計画の歴史的経過
1957年(昭和32年)からの30年間に、千葉県は一気に東京湾の干潟を埋め立てた。東京・神奈川でも埋め立てはすでに先行していた。すべての干潟が東京湾から無くなるはずであった。
埋め立ての現場は、まさに生きものたちの墓場であった。影響はただちに広範囲に及んだ。1957年、養老川河口で埋め立てが始まったその年から、ハマグリその他の生物たちは一挙に3分の1に減少し、やがて姿を消した。
そして、市民たちが住む臨海部の町々も変貌した。公害と災害が市民をおびやかした。
今日残る干潟は10%にみたない。それさえ全滅する運命にあった。曲がりなりにもこの埋め立てをくい止め、今日、三番瀬(と木更津市小櫃川河口)に代表される東京湾の干潟を残すことができたのは、「干潟を守れ」「これ以上東京湾を埋めるな」「この海は私たちの東京湾だ」という市民の声が、国会を動かし、県を動かしたからである。
1967年、市川市行徳の新浜を守ろうとしておこった自然保護運動は、1971年、習志野市民を中心とした「千葉の干潟を守る」市民連動に燃え上がった。海を市民の手にとり返そうという運動である。
1973年2月、千葉県は1万5200ヘクタールに達していた埋め立て計画を縮小することにした。埋め立て面積は1万2000ヘクタールで停止した。大規模臨海開発から埋め立て抑制への政策転換を行ったのである。
1973年2月までの埋め立て計画面積は、市川地区1042ヘクタール、京葉港地区(船橋・習志野)1716ヘクタール、合計2756ヘクタールであったが、70年代半ばに、市川地区400ヘクタール余り、京葉港地区1200ヘクタール余り、計1686ヘクタールで埋め立ては打ち切られた。消える運命にあった1100ヘクタールの浅瀬、今私たちが三番瀬と呼んでいる海面はこうして残った。
1983年に登場した中曽根内閣は、東京湾横断道路をはじめとする景気刺激策を行った。そして「狂乱」とまで言われる土地投機がおこった。
市川地区、京葉港地区の2期計画はこの時期に始まり、紆余曲折の末、92、93年に市川地区470ヘクタール、京葉港地区270ヘクタール、計740ヘクタールの基本計画が発表された。
しかし、80年代における計画段階からすでに、これに反対する市民運動は展開されていた。特に漁民の大野一敏氏がサンフランシスコ湾の保全計画をモデルに東京湾保全計画の策定を呼びかけたことは新しい進展であった。
一方、地価の無限上昇への期待は、たちまちバブルとなって崩壊しつつあった。千葉県が1992年、三番瀬計画と並行して千葉県環境会議を設置したのは、この二つの問題、環境保全運動と経済変動についての対応を顧慮することが最初から必要だったからである。
ちょうどこの時、1991年に日本湿地ネットワークが結成され、日本の干潟保護運動はラムサール条約の「湿地の保全と賢明な利用」を自分たちの運動目標として大きな発展をおこしていた。干潟保護運動の視野は地球的規模に広がった。
1992〜98年の6年間は、三番瀬計画の見直しのために費やされた。環境会議の提言は、自然環境影響評価のやり直し(補足調査)と土地利用の必要性の再検討を要求するものであった。これは、計画の妥当性についての再検討、すなわち「計画アセスメント」を実質的に意味する。日本の「環境アワスメント」が一般に事業の実施段階の一つにすぎないのに対し、これは先進的なものとして高く評価される。
1999年6月、千葉県は見直し計画を発表した。しかし、この縮小案は、以上で述べたような三番瀬の歴史を正しく受け止めているだろうか。
■ むすび
補足調査を正しくふまえ、市民の批判を受けとめ、ラムサール条約が地球の未来のために要求する湿地の保全を思うならば、埋め立てはもはやありえない。
埋め立てをやめるためには、埋め立てで土地を造成し、そこから何がしかの収入を得ようという考えとキッパリ訣別しなければならない。企業が要求するからと言って、その時その時の経済要求を受け入れて永遠に海をつぶすのは愚行だと認識しなければならない。陸上では困難だからと言って迷惑施設を海に押しつける考え方をやめなければならない。そのためには、私たちの生活の変革も必要となるかも知れない。
何よりも、土地を「造る」ことができる、干潟を「造成」することができる、という考え方は思い上がりなのである。地球を造っている「自然の摂理」を知り、「使わせていただく」ことしか私たちのとりうる道はない。
「埋め立てをやめる」と決意した時に、はじめてそこからよりよい陸地の使い方、陸上の住まい方が見いだされてくる。
(1999年9月)
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