いま…、干潟を守るシンポジウム
「千葉の干潟を守る会」など県内の市民団体は1999年2月20日、全国各地から干潟保護団体のメンバーらを招いて、「諫早、藤前、三番瀬〜いま…、干潟を守るシンポジウム」を船橋市の勤労市民センターで開きました。
「諫早干潟緊急救済本部」(長崎県)の山下弘文代表、「藤前干潟を守る会」(愛知県)の辻淳夫代表、「博多湾市民の会」(福岡県)の堀良一事務局長らが講演したあと、パネルディスカッションがありました。
山下代表は「水門が閉め切られた諫早湾は、農水省の環境アセスメントの予測に反して、水質の悪化や生物の減少を招いた」と諫早の現状を報告。「三番瀬は一坪たりとも埋めてはいけない。埋め立て計画をただちに中止し、諫早湾の水門を開かせるきっかけにしたい」と話しました。 辻代表は、「干潟の価値は明らかで、人工干潟では復元できない。科学的な調査をやった三番瀬も、きっといい方向に行くはずだ」と語りました。
シンポには約300人が参加。三番瀬の埋め立て中止を求めて、全国の市民団体が蓮携していくことを確認しました。
以下は、シンポジウムにおける講演内容です。
講演内容 |
- 三番瀬の現状(千葉の干潟を守る会 大浜清)
- 三番瀬の埋め立て問題が問いかけていること(日本自然保護協会 開発法子)
- 人工島の過去・現在・未来と縮小の意義(博多湾の豊かな自然と伝える市民の会 堀良一)
- 藤前干潟の保全が決まって…(藤前干潟を守る会 辻淳夫)
- 諫早干潟から、日本の湿地と世界の湿地(諫早湾緊急救済本部 山下弘文)
- 全国の干潟の現状(世界自然保護基金日本委員会 東梅貞義)
(注) 文責:俵 正章
★シンポジウム講演
三番瀬の現状
千葉の干潟を守る会代表 大 浜 清
諌早の水門が閉められたショックは、全国の皆さんの目に、非常なショックとなって焼きつきました。あれを契機にして、日本の干潟保護の運動は大きく転換がはじまりました。
そして、昨年(1998年)の暮れから今年のはじめにかけて、もう絶対絶命かと思われていた名古屋の藤前干潟が、無事に保全される方向に向かっています。そして、諌早、藤前に続く、三番瀬。この三番瀬が今の日本の干潟の問題を一身に背負っているといいますか、一番大きな焦点として浮かび上がってきています。
それで、全国から日本湿地ネットワーク(JAWAN)の皆さんが集まってきてくださり、昨日は環境庁と千葉県に行きました。明日は、三番瀬と谷津干潟を巡回することになっています。そして、この日本湿地ネットワークで、今年の干潟を守る日(諫早の水門が閉めきられた日である4月14日)を中心にし、さらに今年5月のラムサール条約コスタリカ会議に向けて、三番瀬を天王山として運動を展開しようではないかということを決議してくださいました。
●千葉県の埋め立てと三番瀬
この三番瀬について説明する必要はない思いますが、お手許の資料集の地図などをみめながら、話を聞いていただければありがたいと思います。
現在、三番瀬は、市川、船橋の海面で図のように残っています。この埋め立て計画というのは、実は1960年代からありました。しかし、1973年に千葉県が長期計画を改訂する時に、いったん見直しを前提として、凍結をしました。そこで、そのように千葉県の県政がなぜ転換したかということを話します。
1970年当時、日本の環境というのは実に悲惨でした。西では水俣病があり、三重の四日市があり、あるいはイタイイタイ病がありました。東京湾では、西側の海が真っ黒になりました。真っ黒というよりも、醤油をにしめたような色といいますか、死の海寸前という状況だったのです。そこで、私たちは、“東京湾を死の海にするな”ということを一つの旗印にして、立ち上がりました。
そして、埋め立ての次の目標である習志野市でもって、東京湾の埋め立てをストップさせようという運動をはじめました。習志野市民がそれに呼応して立ち上がってくれ、非常に激しい運動になりました。目の前でガンガン埋め立て工事の杭打ちがはじまる中で、運動が燃え上がりました。自分たちの街では埋め立て反対運動は負けつつあるけれども、決して負けてなるものかということで、東京湾の埋め立て終止として、「干潟保全」という国会請願を2年間やりました。
1972年から73年にわたって、その国会請願は2つ、「六九国会」と「七一国会」で採択されました。つまり、国は、その時点で、もう東京湾はこれ以上埋めないということを、国会で決議してくれたわけです。その結果、千葉県は、前述のように三番瀬埋め立て計画を凍結しました。また、木更津海岸の埋め立て計画を解除し、富津は、2つの石油コンビナートをつくることになっていましたが、そのコンビナート計画はやめにして、埋め立て面積を3分の1に縮小しました。
そうして25年間、埋め立ては中止したままになっています。いわば保全されてきたわけです。その間に、いろいろな対策と相まって、東京湾の環境というのは死の海になることを免れてきました。青い海を取り戻すことができたといっていいかもしれません。
ところが、その方針転換の直後にオイルショックがやってきました。千葉県がこれまでやってきました開発計画は無謀だったのではないか。経済の予測というのはいつでも変動してしまうものだ。人間の方の需要は勝手なものだ。これは人間の都合で変わっていってしまう。ところが、一回潰された干潟というのは戻ってこない。地球上の生き物にとっては、それは大変なことですね。そういうことが、証明されたわけです。そして、25年以上前に埋め立てた埋立地にはいまだに空き地が残っている。
そういう状況のなかで、今度は80年代になりましてから、バブルが起こりました。中曽根内閣の時に東京湾横断道路計画を、本当に突然に通してしまって、東京湾中で開発計画が100も起こるというような状況になりました。そんな状況の中で最後に追っかけて登場したのが、三番瀬計画の、現在の計画です。つまり、三番瀬を740ヘクタール埋めるという計画です。
●千葉県環境会議と補足調査
けれども、これについては、千葉県も環境庁も、失礼しました、千葉県企業庁も環境会議に図って、相談せざるを得ませんでした。環境会議の提言に従って、補足調査を6億円かけて3年間やってきました。
こういう調査というのは、全国に珍しいケースですね。そもそも環境会議というものがつくられたというのは、千葉県は胸を張って自慢すべきことなんです。アセスメントというのがありますが、アセスメントというのはこれまで決して、無謀な開発計画に対しては、歯止めになりませんでした。開発計画の工事をどのような気をつけたらいいかというように、修正しかしてこない。計画それ自身を修正するということは、これまで大規模なプロジェクトに対しては日本では行われてきませんでした。
なぜなら、アセスメントというのはいつも事業計画の一部に過ぎなかったからです。ところが、千葉県は環境会議を設けて、三番瀬計画全体をそこで審議してもらったのです。環境会議としては、やはり環境を保全すべきだという方向をはっきり出していると思います。それを実際に証明してみせたのが、昨年の秋と今年の発表した補足調査の現況編と予測編です。ここでは三番瀬は、三番瀬の価値がいかに大きなものであるか、東京湾にとってどんなにかけがえのないものであるか、鳥類にとってどんなにかけがえのないものであるかをはっきりと述べています。現在、ラムサール湿地である谷津干潟に優るとも劣らない価値をもっている、と指摘しています。そのことだけでも、これは大変な意義をもっています。
●千葉県の「見直し」と計画策定懇談会
ですが、そういうような時代の歩みというものを、千葉県が本当にまともに受け止めているでしょうか。環境会議が提言した際も、千葉県が出してきた反応は、白紙撤回までは委託した覚えはない、というような言葉でした。それから、補足調査の結果が次第に明らかになってくるのにつれ、計画策定懇談会を設けて、一方で新しい見直し計画を進めようとしています。
ところが、見直しという中身は、このあと日本自然保護協会の開発法子さんが話してくださると思いますけれども、一言で言えば、これまでの計画に基づいて、それをどう修正できるか、需要がどの程度減るだろうか、という方向からの見直しでしかありません。
20世紀後半に、日本で、特に、東京湾で行われてきた自然破壊がどんなに酷いものであったか。いちど壊した自然は永久に取り返せないんだということを認めるならば、やっぱり、計画のあり方の根本にさかのぼっていかなければならない。干潟を埋めないということを前提にして、私たちの暮らしはどうあるべきか、私たちの国土計画はどうあるべきかを、ということを検討していただかなければなりません。そのうえにたって、私たちが21世紀に残すべきものは何かというと、それは東京湾の自然を回復する試みだと思います。このように、もっと本当に根本的な見直しをしていかなければなりません。しかし、今の千葉県がやっていることはただの手直しにすぎないのです。
●埋め立てと人工干潟
私たちは、すでに約15万の署名を集めました。これは、さらに20万をめざして広げていきたいと思います。日本湿地ネットワークでは、これを日本全国に呼びかけて、県や国に対するアピールをすることを運営委員会として決めました。やっぱり、国の計画がどうであろうと、私たち国民が願っている大事な自然を21世紀に譲り渡すために、というところに向き直させていかねばなりません。
幸い、昨年12月に名古屋で行われました藤前シンポジウムで、環境庁は非常に明確な方針を示しました。貴重な干潟を開発しようという計画に取りかかる前に、まず干潟を潰さない方法を考えなければならない。そして、その計画の中で、干潟を潰さずに、開発の必要性自身をまず検討しなければならないし、必要であるにしても、それは干潟を潰さずにやることはできないのかどうか、それを検討しなければならないということです。
ところが、千葉県などが提起しているような、これは名古屋港でもそうだったんですけれども、干潟を埋める替わりに人工干潟をつくって代償措置にしようという考えがあります。ミチゲーションという言葉をよく使っています。しかし、埋め立てにたいして人工干潟による代償作用というのはありえません。なぜなら、人工干潟をつくること自体が、干潟のまわりの大事な浅瀬を潰してしまい、そこから生まれてくる生き物たちが住めないようにしてしまうからです。二重の自然破壊を行わざるを得ないのです。
そういう破壊を犯して、元が取れるような、そういう人工干潟はありえないんだ、というようなことを、環境庁は積極的に出しました。これからの私たちの考え方としては、まさにこれを踏まえて行くべきだ。−−そう思いまして、千葉県に対してそのことを要求しています。
●埋め立ての「不経済」
具体的なことはこの後の開発さんなどに話していただくことにして、私たちが一言いいたいのは、これまでの埋め立ては何であったかということです。今でも埋立地に空き地が残っているし、それから、莫大な金を費やしてつくった幕張メッセなんかは遊んでしまっている。しかも、その遊んでいる幕張メッセのために、広大な駐車場を一年中とっておかなければならない。
そして、幕張では、県の言葉につられて進出してしまったラーメン屋さんが、お手上げだとして県に抗議の張り紙をしています。「私は5月に店を閉めます」というような、つまり市民生活がそっちのけでつくられた埋め立てというのはなんなのだろうか。よく箱物行政といって、箱物を先につくってしまって、その使い道が見つからないで後から追っかけているというふうなことを言われます。この埋め立てに関する限りは、それ以前に、まず、埋め立てて土地をつくってしまおう、それから箱を探しているのです。こういう開発のあり方というのは、根本的に手直すべきです。こういうことをやっていたのでは、財政負担をみても、将来の子どもたちに大変なツケを残します。
●転換点
私たちは、ぜひここで声を合わせて、千葉県に根本的な見直しや根本的な考え直しをし、何が大切なのかを考え直していただくように迫っていかなければならないと思います。一人ひとりが力を合わせて。私たちは、ちょうど今、転換点にいます。転換点といいますのは、千葉県の三番瀬計画の転換点です。それから諌早、藤前、三番瀬と続く、日本の干潟の運命にとっても転換点です。
そして、さらに大きくいえば、20世紀の後半というのは、まさに環境破壊の世紀でした。前半は戦争に明け暮れする戦争の世紀でした。日本にとっては、後半は破壊の世紀でした。それを、自然環境を守る21世紀に転換し直していかなければならないという、大事な時点にさしかかっていると思います。ぜひみんなで腹を決めて頑張りましょう。よろしくお願いします。
★シンポジウム講演
三番瀬の埋め立て問題が
問いかけていること
日本自然保護協会 開発法子
自然保護協会の開発です。今日は自然保護にとりくんでおられる全国の大先輩たちと、同じここに立つということで、とても緊張しています。
資料では、「三番瀬の埋め立て問題が問いかけていること」という大きなタイトルをつけました。干潟をめぐる問題でいうと、諫早の干潟の問題が、それが藤前干潟の問題にいい影響をおよぼしてくれています。そして藤前が、また、三番瀬につながってきている。では、三番瀬で頑張って取り組むことで、これからの自然保護問題とか、各地の自然を守ることにつなげていきたいという意味をこめて、4つの項目をあげました。ただ、今回は時間の都合もあるので、特に2番の、計画策定懇談会というところに委員として出席していますので、そこでの話を中心にさせていただきます。また、時間があれば、1番、3番、4番のことにもふれていきたいと思っています。
●計画策定懇談会
計画策定懇談会が、つい先日、2月8日にありました。まだ第2回目だったのですが、千葉県から、埋め立ての計画はこれだけ必要性があるという案がはじめて示されました。
それは、最初あったものから比べれば縮小されたものだったのですが、本当に数行の、3行くらいの、道路渋滞があるから湾岸道路を造るために埋め立てが必要であるとか、まだ港のほうについては検討中であるとか、たいへんあいまいな表現が多いものです。
もう一つ、皆さんもご存知かと思うのですが、三番瀬の自然の状況をきちんと調査をして明らかにしなさいという提言が県環境会議から出され、その調査結果報告が出ました。この報告書は、8000ページにおよぶほどのデータがあるそうです。調査の結果、新聞報道でご存知のように、三番瀬はとても豊かな自然であるとか、これをこのまま埋め立てると、とても大きな影響があるということが、明らかにされました。これに対して、埋め立て計画の必要性については、ほんの数枚の数行の積み重ねでしかデータが示されていません。そういう状況です。
その中で2月8日の会議がありました。従来の開発の考え方であれば、地域の問題を解決するために開発は必要だとか、それから、人工干潟さえ造れば別に埋め立てたっていいじゃないかっていう議論がまかりとおっていくようなことがあったと思います。しかし、今回はそういう意見は一つも出ませんでした。それは、藤前干潟の例があったり、地域の皆さんの地道な活動があり、また、全国的な干潟保護の声が高まっているからだと思います。
会議で出された意見は、本当に埋め立てる必要があるのかとか、これじゃ本当の計画の必要性は分からないから、もう一度宿題として、次回までに県の人はやってきてくださいとか、それから、代替地はちゃんと検討しているのかというような、そういう論調で今回は議論が進みました。ですから、いま大きな転換点を迎えている、ということを感じました。
といっても、今の計画策定懇談会が決していいと思って入ってるわけではありません。大浜さんをはじめ、皆さんから、もっと計画策定懇談会はこうあるべきだという意見をいつもいただきますし、私も、そういうように、本来のあるべき議論の場にしていきたいとは思っています。
今回思い切って、私が委員として入った理由は、つぎのようなことです。これまでは一方的に開発が進められてきたなかで、計画に絶対反対するだろうというのが明らかになっている自然保護団体をメンバーに入れました。行政のほうも、このように少しずつ歩み寄りの姿勢をつくってきています。これに対しては、できるかぎり前向きに対応して、その中で取り込まれないで主張すべきことはちゃんとして、中から私たちも変えていきたいと、そういう気持ちで入りました。
●環境会議と環境アセスメント
千葉県の場合は、「環境会議」という、大規模な開発については、環境面について計画段階から検討する機関があります。そこが、三番瀬の問題に関して提言を出し、きちんと自然の状況を明らかにしなさいということとか、必要性が本当にあるのか吟味しなさい、または、広くいろいろな人から意見を聞きなさいとか、いくつかの提言を出しました。それを受けて、この計画策定懇談会が、計画の必要性を検討するために設けられたんです。この一連の流れというのは、私は、これこそ環境アセスメントの手続きだなと思います。
環境アセスメントというと、すごく専門的で、自分とは遠い存在だと思うかもしれませんが、こんど6に新しい環境アセスメント法ができると、もっと身近になってくると思います。本当に私たちの声を反映されるものにしていかなければいけないと思っています。
これまでのアセスメントですと、公害対策の中から生まれたもので、わりと「環境基準クリア型」で、この基準さえクリアすれば、もう後はどんどん開発してもいいんだというような、そういう意味がすごく大きかったと思います。ですから、例えば、もしそのなかで三番瀬みたいなものの環境アセスメントをしようとすると、「影響は軽微だ」とか「影響はほとんどない」というような一つの結論さえ出してしまえば、後はどんどん開発してもいいという発想になります。いわゆる「アワスメント」です。そういう作文をしてしまえば、あとはどんどん開発できてしまうという、すごくまずい点がありました。しかし、今度の新しい環境アセスメント法は、環境基本法に基づいて行われますから、本来の意味の環境アセスメントにとても近くなっていると思います。
では、本来の意味の環境アセスメントはどういうものかというと、環境を守るためによりよい意思決定をするためのコミュニケーションの、そういう手続きというように位置づけられています。または、より良い決定をするための情報交換の場と言う方もいます。そういう面で考えると、三番瀬の場合は、ただ、計画の縮小をすればそれで済むというものではなくて、影響があると分かれば、その影響を回避するという努力を追求していかなければいけないのです。ここまでやれば大丈夫という、そういう基準ではないのです。ですから、うまくこの三番瀬の一連の流れ、不十分なところはいっぱいあるのですが、ぜひ、私たちの手でいいアセスメントの手続きに変えていきたい。それができれば、これからのほかの自然保護問題につながっていくのではないかという気持ちで、今やっています。
●より良いアセスメントへ
私たち市民としては、より良いアセスメントをするために意見を言うのが当然だし、逆に、その事業をしようとしている人は、より良いアセスメントをしようと思うのならば、当然、いろいろな意見を、情報交流の場ですから、自分たちが調べた補足調査とか、必要性の検討だけではなくて、いろいろなところから市民の皆さんや専門家から情報を集めて、本当に環境保線がより良くできるように情報を集めなければならない。それをもとにして、最後に、意思決定をくだすということになります。その意味で、まだ計画策定懇談会は全然オープンになってない面が多いですし、それから逆に、今のところ、いろんな人から外部の人から意見を聞くという場は、計画策定懇談会と、それから、今度3月6日にシンポジウムをやるといってますけど、まだそれしか用意されていません。これだけでは全然不十分で、もっとさらに、ここにいる皆さんのような方から意見が出て、議論をしていけるような場をつくる必要があると考えています。
三番瀬の場合は、特に、そこを使って計画しようという場合には、「三番瀬はみんなの財産だ」という考えに立つ必要があると思います。「皆の」というのは、もちろん地域の財産でもあるし、渡り鳥から見れば地球の財産でもあるし、水質浄化機能という点からいえば東京湾や海の財産でもあるわけです。その皆の財産をどう使ってどう管理していくかということを考えるときに、事業をしようとする事業者だけで決めていいものではないと思います。その使い方について、というのはまず、事業者の県が自ら「こういうように使いたいが、こういう使い方をすると環境に悪い影響があるからこういうふうにして防ぎたい」という見解を示します。今、不十分ながらもちょっと示してきたところです。それに対して、さらに、やっぱり市民、私たちが、もっとこうしたら三番瀬は守られるんじゃないかとか、それから「こういう方法をすれば、目的・計画も達成できるし、将来にわたって私たちが大事にしたいと思う三番瀬も守っていかれるよ」という提案を出すとか、そういうことが必要になってきていると思います。
そういう場として、計画策定懇談会をもっと開かれたものにしていく。それから、別にそういう場をつくるということが大事になってきている。そのためには、すごく有効ないい情報を集めようと思えば、自分たちが持っている情報は、全部早い段階で市民の人や皆さんに提供して、そういう情報を集める努力をしなければならないと。ですから、これからは、情報公開と住民参加というのは不可欠のものになってきます。ぜひ、ここで、これを実現できるように頑張っていきたいと思っています。
そこで、私たちとしては、意見が求められてくるわけです。そのために、ではいったい私たちは三番瀬とどうつきあって保全したいのか、というのを考えていかなければなりません。そして、それを分かりやすく出して、どう伝えていくかということが逆に降りかかってきます。ですので、そこら辺は、まだまだ私たちのやることはいっぱいあります。いろいろなところで議論の場をもうけて、私たちの声や意見を形にして出していくということも求められているんだなあと思います。
●新環境アセスメント法
最後に、新しい環境アセスメント法には新しい項目が入りました。「生態系と生物の多様性」という項目と、「人と自然との豊かなふれあい」についてもきちんと調べてなければならないというようになりました。まさに、三番瀬のような干潟と浅海域というのは、この2つの項目でその重要性がより際立ってくることだと思います。その意味でも、三番瀬の重要性をもっと出していく必要があると思います。この点では、資料に含まれていますが、先日、千葉県に提出した意見書の中に、どうして三番瀬が重要だと思うか、というのを入れておきましたので、見ていただければと思います。
★シンポジウム講演
人工島の過去・現在・未来と
縮小の意義について
博多湾の豊かな自然と伝える市民の会 堀 良一
「博多湾市民の会」の堀です。博多湾に和白干潟という干潟があります。そこのすぐ目の前で、401ヘクタールの人工島の埋め立てが進行中です。1994年の7月に着手されました。いまは、工期10年のうち5年が経過した時点です。全国で今、干潟の保全と乱開発がせめぎあい状態にあり、たいへん厳しい状況になっています。
その厳しい状況についてですが、諫早のあのショック以来、昨年から今年の初めにかけての藤前の画期的な成果、そして今、この三番瀬の見直しというような流れの中で、大きな転換点を向かえつつあると思います。きょうは、その従来型の厳しい壁にぶち当たっている博多湾の現状から見て、今、この三番瀬がどういう可能性を生み出しつつあるのか、そのへんのことを少し考えてみたいと思います。
実は、三番瀬の持っている意味というのは、非常に限りなく全国に対する波及効果を持っていると思います。昨日、今日と、こうしてJAWAN(日本湿地ネットワーク)の運営委員が集まってきました。特定の地域の湿地に対して、全国の運営委員が集まってきて、県庁なり、開発側に申し入れを行うというのは、実はJAWANとしては、今回の取り組みがはじめてです。それだけ、やっぱりこの三番瀬というのは全国的な意義を持っているんだということを、まずお話したいと思います。
●博多湾和白干潟の人工島問題
そこで、人工島の問題です。港湾計画ができたのが1990年ですから、三番瀬の現在の埋め立て計画の少し前になります。干潟の目の前を401ヘクタールも埋め立てるという計画です。
浅海域がその分だけ消失するというのが、第一の問題です。それから、目の前をふさがれた和白干潟についてみても、潮流が変化してしまいます。博多湾というのは、東京湾と同じで、水質が都市化の影響で悪化しています。海水の交換が行われなくなって、閉じ込められた干潟そのものも破壊されてしまうということから、私たちは反対運動を行ってきました。
同じような無駄な開発が全国でたくさん行われていますが、この人工島についても、港湾や住宅や産業施設のための埋め立てというようになってきています。けれども、その必要性については、合理性がはっきりしません。この必要性の点でも、環境面と並んで問題があるということで、運動をしてきました。ところが、そういう流れの中で、着手が強行されようとしています。
やはり、その中で私たちが心配したように、これは事業者である福岡市側のデータを見てもですね、大雨のとき、少し雨がたくさん降り続いたときはですね、すでに埋め立て工事が進行しているところの背後海域ですね、閉じ込められた部分はですね、長く淡水化の影響が抜けきらない。海水の交換がやっぱり阻害されているという事実が、既に生じてきています。
それから、和白干潟についても、干潟を餌場にしているシギ・チドリ類、福岡市の調査方法っていうのは、1カ月に1回の調査だけでやっており、データとしてあまり正確ではないんですけれども、そういうデータの中でも、やはり、この5年間で減少の傾向というの物が非常に顕著になってきたという影響が現れております。
これは元々あの人工島の工事をはじめる前に、環境アセスメント、今も開発さんからお話しがありましたけども、アワスメントだとか、いろいろ批判のある中でですね、やってきて、これ全国どこでもそうなんですけれどもね、開発をやってアセスメントの書類が出てくる。結果論はもう判で押したように影響は軽微である、影響はないという結論です。
これを覆すためにですね、実は大変多くの努力を全国の住民運動というのはこれまで行ってきているんですね。私たちも、そういう運動をつくってきました。現在、5年間が工事が着工されてたって、事業者である福岡市のデータの中からも影響が出てきてるんだけれども、しかし、それでも、影響はないんだと、といまだにこう言い切っている。
●公金差し止め訴訟
この間、私たちは裁判をやりまして、公金差し止め訴訟というのをやりました。
昨年の3月31日に、着工の直前に提訴して、丸4年間で判決が出ました。公金差し止めというのは、実は、違法性の基準が明白かつ重大であるとか、非常に厳しいハードル設定されていす。それで、いまだ、こういう自然保護関係で公金差し止めという格好での判決が下りたことはありません。この人工島の判決についても、結論としての公金差し止めにはなりませんでした。
ところが、判決理由の中では、非常に厳しい、つまりそういう基準で違法には達しないんだけれども、人工島のアセスというのは、実は、大変問題があるんだというような判決が出たんですね。実はこれは博多湾の場合だけではなく、全国で問題になっているところに、共通する問題だと思います。
判決では次のように述べているんですね。
「その内容について、決して軽視することのできない問題点があるといわざるをえない。厳しい批判を免れない。環境影響評価として本来、備えていなければならないはずの科学的で客観的な正確ととは、やや、異質なものを感じさえする。博多湾の東部海域が400ヘクタールも埋め立てられることによる、自然環境への重大かつ深刻な影響を軽視しているきらいがありはしないかということが懸念される。」
これ、判決の文章そのままです。そして、最後にこのように書いてあります。
「この際、本件整備事業を抜本的に、見直すということさえ、政治的な決断として考えられないわけではない。」
これも判決の文章です。
判決というのは、普通は、違法性の基準を出して、事実認識をして、違法性の基準に達しているかどうか。それで、おしまいなんですよね。ただ、人工島の場合、あまりにもひどかった。やっぱり、公金差し止めという厳しいハードルで、決議する事はできなかったけれども、しかし、やはりこういう批判を通常、述べないような事まで言わざるをえなかった。
これが今、干潟で行われている開発の実態です。現在、非常に財政状況が大変厳しくなっておりまして、このままの格好でつくっても、人工島も例によって独立採算事業になっていますので、土地が売れなければ、工事費について捻出することができないということで、市長が昨年末に変わりました。
●土地利用と財政
新しい市長は、開発行政からの見直しをというのを公約に掲げて当選しました。福岡市で現職市長が落ちたというのははじめてのことです。では、どんなことをやるのかなというように考えたら、土地利用計画や資金計画を見直し、ただし、埋立計画は継続します、という現状です。
つまり、今のままだと売れない、だから売れるようなものに目的を変更する、もっと安上がりにできるものにする、しかし埋め立ては続けるということです。
これはおかしい話です。埋め立てというのは、本来、これこれこういう土地利用をすることが必要だ、だから埋め立ててその土地が必要なんだ、その「どういうふうに利用する土地」の、「どういうふうに」という部分がいま変わってしまいました。従来のままのでは維持できないとなってしまった段階で、本来、埋め立てというのは破綻したということになります。
今は目的が定まらないままに何に使われるか分からない埋め立てが、漫然と行われています。まさに「はじめに埋め立てありき」ということで、私たちも批判をしているんですけれども、そういうのが今、全国各地で問題になっている現状だと思います。
●干潟保護の今は昔
JAWANは今から4年くらい前にできました。埋め立てや干拓があちこちであり、貴重な干潟がつぎつぎに失われていったという中で、運動をするといっても、つらい状況にありました。そういう中で、全国でネットワークをつくって、情報を交換しながら一緒にやれる部分はやっていきましょうということで、JAWANがはじまりました。けれども、当時、代表の山下さんなんかは、「負けて元々、勝ったら大変」なんていうことを言っていたんです。
これが、例の諫早ショック以来、大きく変ってきました。昨年の藤前です。藤前の転換の出発になったのは、環境アセス手続きの中で環境への影響は明らかという結論を導き出した。これがやっぱり大きな転換点だったと思います。これまでは環境への影響はあるのかないのかというような、そういうせめぎあいがずっと続けられてきた中で、はじめてここで打ち破ったんですね。
影響があるという中で開発工事についてどう考えるのか、環境と開発の関係をどう考えるのか、これが大きな焦点になってきました。そして、ある時期、代償措置としての人工干潟という危険な方向も新たな論点としてでてきました。そういうなかで、昨年末から今年にかけてのドラスティックな転換の中で、非常に落ち着いたというわけです。もう一つ、これが肝心の話になるのかもしれませんが、ゴミ問題という新しい問題について、市民グループで協議していく。そういうきっかけも生まれてきているようです。 けれども、この三番瀬の場合は、藤前がアセスの途中でやったのと違っています。現在は、手続きとしては、事業の実施段階ではなく、計画段階です。計画段階での予備調査、いわゆる事前調査みたいな、そういう段階で「影響はあるんだ」と、そういう結論を導いたのは、これも恐らくはじめての例です。
●三番瀬の可能性とその意義
計画段階から環境への影響があるという結論がでたという状況を前提にして、開発と環境の関係、干潟の保全をどう考えるのかということ、これが今、三番瀬に問われています。
諸外国の例では、国家的な湿地保護政策みたいなものができています。たとえば、アメリカのサンフランシスコなんかでは、内湾については、あらゆる埋め立てが悪影響を持つんだと。だから、埋め立ては必要最小限のものを例外的なものに止めなければならないと。しかも、海でなければ獲得できないようなそういう土地利用でないと、別の目的のために埋め立てをすることはできないんだと。こういう政策がきちんとできているんですね。そういうのをつくっていくステップにもなりうる、そういう展望を三番瀬の問題というのは秘めているというように思います。 それともう一つは、今年6月から実施されるアセスメント法というのは、残念ながらやっぱり事業の段階でアセスをやるということが基本になっています。計画アセスを盛り込もうということで、いろんな運動がありましたが、そこにはまだ到達していないわけです。けれども今、計画段階で事前調査というような方針を持ってやってきた三番瀬で影響があるという結論が出て、それがどういうふうになっていくのか。これは、日本で計画アセスというものを、今、導入をし、定着をしていく、法制化していくということの上でも大きな影響を持ちます。 こういう点で、日本湿地ネットワークのメンバーと、昨日今日とこちらの方に来て、きょうの午前中も会議をやり、改めて“ポスト藤前”の全国の湿地保護の天王山は、やっぱり、この三番瀬なんだと考えます。その持つ意義から考えると、ここでどういうような結論になるのかということが、それぞれ厳しい状況で、湿地保護の運動をやっている市民団体や住民団体の運動にとっても、大変大きな影響を持ってきます。
同時に、私たちのところも厳しい運動をやっているのですが、そういう運動をやる一方で、三番瀬の動向というものを常に念頭に置きながらですね、できるかぎりの支援体勢を組んでいこうということを議論しました。
それで、まだどういうとことをやるかということについて詰めた話には至っておりませんけれども、例えば環境庁長官や千葉県の知事に対して、全国からの要請はがきや要望、こういうのを全国に呼びかけて、集中していくようなそういうシステムをつくって行こう。ニュースでそういうことを呼びかけていこう。あるいは今、ここと同じように問題になっている、うちの和白もそうですが、天草の本土もそうですし、あるいは吉野川の河口堰なんかもそうなんですけれども、幾つもあります。そういう共通する問題や課題をかかえた全国の市民団体・住民団体・自然保護団体がネットワークを組むということも検討しようじゃないか。まあ、港湾開発と干潟の保護についのネットワークを組んで行こうというようなことも検討しました。やはり、それだけ三番瀬というのは全国から注目されています。私自身もやっぱり、三番瀬にはいい結論を持っていってもらわなければいけない。そういう点では、自分のところの問題として関与していくと。そういう姿勢を持って、今後とも三番瀬の皆さんの運動と連携していきたい。そういうふうに思います。以上です。
★シンポジウム講演
藤前干潟の保全が決まって…
藤前干潟を守る会 辻 淳夫
こんにちは。最初に名古屋の藤前干潟が、全国の方々の応援をいただきまして、やっと守られることになったことを本当に喜んでいます。特に、千葉の方々には干潟の保全運動のずいぶんはじめの方から30年ぐらい前からお力添えをいただきました。今回のことでも署名を千葉の方からずいぶんたくさん送っていただきましたし、そのことで感謝をしております。どうも本当にありがとうございました。(拍手)
今、藤前干潟が、なんとか時間に間に合ってぎりぎり守られたということには、いろんな条件や、過去の経緯、いろんな方々のご努力、ご支援というものがあるんですが、今日のレジュメの中に、本当に国際湿地シンポジウムで、ほんの1月ほど前に開いたときに作ったレジュメの流れの中に、少し書き加えたものを用意しておきましたので、それで見ていたたたけると思います。それをゆっくりお話している時間はないと思いますので、それをかいつまんで、少しだけ時間のあるところでお話したいと思います。
●藤前干潟が守られて…
最初に申し上げましたが、藤間干潟がこの時期になっても守られたってことで、私たちの長年の長い運動の中で、そういったものが本当に一つひとつ実っていって、いま、市民運動がこのことで、行政を打ち破ったとか、環境庁がやっと目覚めて力を発揮して、環境庁の勝利だとかいろんなことが言われたりしているんですけれども、私はそういうようには言いたくはないなと思うんです。
というのは、環境問題というのは本当に勝ったものも負けたものも、等しく環境の結果といいますか、うまくいけばその環境からの恵みを等しく受け取れるわけだし、もし、まずいことをすれば、その苦しみやら悲しみやらはみんなが等しく受け取らなければいけない。何をしても、その結果はみんなの共通のものである。藤前干潟を守る運動は、もちろん党利党略、思想信条一切を離れて、みんなが一緒に考えるべき問題としてやってきました。
その結果が、最終的には社会に認められ、みんなの判断で、藤前をつぶすようなことがあってはならないということで、みんなが共通に理解していただいた。いわば社会の大きいな選択なんですね。
藤前を守ったから問題は解決したかっていうと、実は、していません。まだ本当の、ゴールである私たちが環境をつぶし続けている、ゴミの問題。使い捨てのゴミを出し続けている社会の構造の問題はまだ何も変っていません。そのことの、大きな出発点というか、大きな転機がやっときたんだという理解を私はしていますし、これから私たちはそういうことを続けていく責任があると考えています。
その中で、残された環境が、とにかく私たちの共通の利益になるものとして、藤前が何とか守られた。そのことが千葉の三番瀬、東京湾の環境を守るということ、多分、これからお話になります諌早の問題に、これは全国みんなの、あるいは世界の人々の大きな願いだと思いますので、そういうことにつながる何かを藤前からくみとっていただければ、実はその流れは、あちこちで勇気づけられたとか、私たちも気持ちを新たにやっていくといった喜びのメッセージを藤前にたくさんいただいております。その対応にうれしい悲鳴をあげているといったところが正直なところなのですけれども。そういった広がりが、あるっていうことをほんとに喜んでいます。どうも本当にありがとうございました。
●埋め立ての歴史と藤前干潟
藤前のどういうところがポイントだったのかというところを少しお話を続けたいと思います。これはまあ、藤前の大きな動きの転換されるきっかけとなった諌早と藤前のことを記事にしていただいた、東京新聞の記事なんですが、藤前のケースではここ1、2年のことなんですが、大変メディアの方々のご理解と、大変熱心な報道がありまして、そのことも世論を正しくリードする力になったと思い、あえてここで使わせていただきました。
伊勢湾では、東京湾とほぼ同じ経過を少し遅れてたどったのですが、名古屋港周辺の木曽3川が、長い間かけてつくった自然の干潟をその浅いからということ理由にして、工業用化する。つまり、埋立地として便利だということで、戦後の高度成長期に臨海工業開発用地として、大変急速な発達をされました。
諫早でもそうですが、過去の自然の干拓農地干拓という、浅くなった海が、どんどん川が運んだ泥で堆積がすすみ、陸地化してくると、その時、自然の堤防を作って、干拓をして水田を作ります。しかし、その形では先には遠浅の海が広がっていて、環境が破壊されることはありませんでした。それが、伊勢湾でも300年ぐらいの歴史が記録に残っていますが、その300年で作られたのとほぼ同等のものを機械力による浚渫埋立工法というもので、いっきにつくってきた。それにはわずか30年もかかっていない。つまり過去300年の自然のしくみを、わずか人工で30年でやってしまった。
その結果は、どうなったかというと、自然の干潟で残っているところはほとんどない。たまたまそこに、海面下の土地の権利の問題があったために、藤前の一角が運良く残った。
私は、土地の権利の問題があったために残ったのですが、その登記をして、2億円でこの土地を買った主張して、本当に買えたかどうか法律的な問題があるようですが、そのことを主張して、藤前干潟は30年前の1964年に開発計画が始まっていながら、20年間放置されたという経緯があります。そこで運良く残ったわけです。
その運良く残ったところに、私たちがこの臨海工業の開発によって、この大量生産大量消費の社会をつくり、その持ってきたゴミが、そこで知らない間に社会が使い捨ての構造を作り、出し続けるゴミがここに来るというところが問題の本質だったわけです。
ですから、運良く残った干潟を残せるかどうか、それは、私たちの社会の構造を転換しようとする決意があるかどうかに、本当はよるべきことなんですね。幸い、全国の方々がそういう問題の重要性を良く分かっていただいて、ここが残れることになった分けなんですが、このレジュメにも書いてありますが、ここ10年間ぐらいやれることはみんなやるいうことで、世論の喚起をはかっていろいろやってきました。
●非科学的な「アワスメント」と「市民の科学」
最初の時に当初の105ヘクタールを半分の50ヘクタールにすることに成功したんですが、半分にしたんだからいいんだろう式の強引な開発に名古屋市が、進めるというようなことがありまして、1994年からアセスメントの手続きに入ったわけです。先ほどからお話があったように、アワスメントといった性格で、藤前干潟の場合にも1000ページにのぼるような分厚い報告書は出たけれども、結論は簡単に言って影響は小さいと。わずか影響は1%という数字まで出て、大変驚いたんですけれども、そういう、アセスメントの非科学的な、非論理的なところを私たちとしては市民運動で、とにかく市民の科学を、大袈裟に言えば、つくってですね、そのアセスメントの科学論争にぶつかろうと、いうことでやってきたわけです。
例えば渡り鳥が残された藤前干潟の中で、アセスメントとしては、ここに藤前干潟があってこの半分をゴミで埋めようという話なんですが、その結果がどういう影響を与えるかっていう私たちの鳥のデータを示したものなんですが、この4つある干潟の中で、どこを彼らがどのように餌場として使っているかということをキチッと調べて、それをデータとして出すということで、審査員の1人2人を動かすことができた。そのことが大きな力になったと思います。
藤前干潟の潮位の変化によって最初、この庄内川に現れた鳥が、新川に移り、最後には一番低いところの藤前干潟が現れたとき、その時はこのあたりの干潟は全部現れているんですが、その時に鳥がどうするかっていうと、九割以上の鳥が藤前に集中する。これは浅い干潟の方が、餌場としては大変重要な意味を持っているということですね。だから東京湾の谷津干潟にいる鳥たちが、三番瀬の干潟が出たときにはそっくり移動して餌を採ることと、行動的にそっくり同じなんです。この事の重要性、つまり、鳥たちが渡りの途中で、集中的に餌を取り、集中的に体力を脂肪で貯えて、渡りのエネルギーを確保しなきゃいけないときに、どこを選択しなきゃいけないか彼ら自信が一番分かっているわけですね。そのことは市民の目から見ても直感的に明らかです。それを実は科学が科学として客観的に明らかにできずに、むしろそうではない、そうではないようにみせる、ための似非の科学を、年間の平均値を出すとか、渡り鳥のいないときまでの平均値を出すとかいろんな手練手管を使って、ごまかそうとしてのがこれまでのアセスの本質だったんですね。それをとにかく打ち破ることができたと私たちは考えています。
●干潟の持つ「地球の不思議」
それから、干潟は冬と秋と、春と夏とでは干潟の出方が違うんですね、これはたまたま、今年の1月2日の頃の様子ですね。冬になると夜に干潟はよく退いています。藤前干潟は、冬と秋は昼に見ようと思っても干潟はなかなか見えません。夜に行って調査をしたりするんですけれども、このとき、シギやチドリがたくさんやってきて、私たちのまわりで、暗いですから、安心して、よってきて餌を採っているんですね。そして多くの人たちがそのことを知らない。私たちも、実は干潟でこのシギチドリの問題にぶつかるまで、知らずにいたことです。
つまり地球の不思議といいますか、月と太陽のバランスの中で、地球が傾いでいるために、春と秋では様相がまったく一変していて、そうした夜の潮がひく干潟まで利用して、渡り鳥たちが渡りを続けている。そういう生態系の不思議さ、神秘さを、私は最初子供たちをそこに導くことによって、見てもらったんですね。はじめは子供たちが「そんな寒い夜中に行って何するの?」って感じでしたが、「まあ面白いことが起こるから見ててごらん」という感じで、たき火をしたり焼き芋をしたりして、少し誤魔化したりして、時間をつないで、やっと9時とか10時とかになって干潟がひきはじめたら、そこには、渡り鳥たちがやってきた。
もちろん昼間のように見ることはできません。しかし、望遠鏡で、対岸の光をバックにすればシルエットが見えるんですね。そのシルエットを見た瞬間の子供たちの驚き。それはほんとに胸を打つというか、聞いている僕たちがびっくりするような声を上げました。彼らが、先頭に立ってじゃあ市長さんに手紙を書こうということを言ってくれたんですね。
まあそんなことがありまして、藤前干潟を残したことの重要な要素に、私は、渡り鳥やそれを支える生態系のことと同時に、そこで学べるそこで感じる宇宙の神秘とか、渡り鳥たちの不思議なしくみとかそれを支えている干潟の生態系は、実は、私たち人間の食料である魚を育ててくれていたり、海草を育てていてくれたり、一番大事な私たちの心の潤いをもたらしてくれているということをじわりじわりを理解していっていただいたんですね。
そのことが、最後に大きな逆転劇をもたらす、一番のことだったのかなあと思います。それは、特別私が“鳥キチ”であったとかいうことではなく、最初は極普通の人間であった私が、渡り鳥に触れて、感動し、その渡り鳥を支えている生態系という物の働きをだんだん教えていただき、そしてその専門家の人たちの力やいろんな知識を教えていただき、自ら干潟に入って、子供たちとそれを実感する。そういうことの積み重ねから問題の展望が開けたんだというように思っています。
ゴミと世論そこまでいって、世論は、7割の人が名古屋市のゴミの問題の逼迫さ、大変なことは、片方で名古屋市が一生懸命お金をつけて一生懸命宣伝しましたので、ずいぶんそういうことは浸透している。もし、住民の自主投票とか、あるいは、世論調査を行ったらどうなるのかなって、その結果を私は楽観的に見ていなかったんですよ。とんとんぐらいにはいっているのかなって思っていたんです。
去年の1月頃に朝日新聞で世論調査をやってくださったら、何と7割の人が、干潟は残さなければならないと、ゴミの問題があるのを前提にですね、そういう声を愛知県民全体、あるいは、名古屋市民どこで取っても、その7割の人が干潟を残そうと、残したいということを率直におっしゃっていました。大変それを見たときうれしかったですし、こういう民意が正しく、社会として築いた以上、藤前はつぶされることがないということをその時点から確信していました。
それが、意外とうまく、その後、雪崩のように状況が展開していくきっかけを環境庁も決断していただいたと思っています。
●人工干潟批判
人工干潟のことを一言だけ触れておきますと、人工干潟というのは、名古屋市の出されてきた案というものが、余りにもひどかったといえば余りにもひどかったんですが、埋め立てるかわりにそれと同じ干潟の出る時間だけを確保する、そのために浅い海を少し泥を持って高くしてやるというものです。
そうすれば、たしかに潮の満ちひきで干出する時間は確保できるかもしれません。しかし、そこの生物や干潟を支える生態系を、いったん、どうしてもつぶさなければなりません。そのつぶした干潟をきちんと復元できるか否かというのが一つ問題です。全国でつくられた、広島の五日市であるとか東京湾の葛西であるとか大阪の南港の埋立地、そこにつくられた野鳥園、そういった例が、成功例として伝えられました。
ところが、現実はどうか。つくってから10年以上経っていますので、10年たった今、私たちが実際にその場所に行って、泥を掘って生物を調べやってみると、ぜんぜんそんなふうになっていません。干潟の泥はどんどん持っていかれて、ほとんどなくなってしまったり、一時は来た鳥も、2、3年経ったら来なくなったり、なにしろ干潟が、生態系がきちんと回復されていないのです。そのようなもので、埋め立ててしまったものを回復するといういうのだったら、その場所は2倍以上の生物を持たなければいけないのですけれども、そんなことはありえないわけです。
私たちとしても、そういうことについて報告書を出しました。先ほど大浜さんがご紹介になった、「藤前干潟における干潟改変に対する見解について」という見解が資料集にあります。これは、人工干潟という形で、いかにも「環境を壊しても、替わりをつくればいいんだ」という発想に流れそうなところに、ビシリと、それはまず考えるところではないと、明確に示したものです。そんなことで、藤前干潟はともかくぎりぎりのところで守られました。
●「藤前」に残された課題
私たちに残された大きな問題ですが、最初に申し上げたように、名古屋市のゴミがどうなるのか、それがきちんとできなければ問題の解決にはなりません。いま、名古屋市は、一昨日に非常事態宣言というものを出しまして、とにかくこの、東京のことに刺激を受けまして、東京湾は8年かけて2割程度のゴミを減らしたという実績がございます。これを何とか名古屋市もやっていこうと。目標としてはまずまずかなと思いますけれども、2年間で5分の1。名古屋市は100万トンちょっと超えるゴミを出していますので2年間で20万トン減らそうというそういう宣言を市長がなされました。
私たち市民も、それに向かって、これから一人一人が取り組んでいかなければいけないのはもちろんですし、社会全体の仕組みを環境にゴミを出していかないような、出したものは環境を1カ所に溜められたり潰されたりする形ではなく、きちんと循環型のベースにのるようなものしか環境にのるようなものしか環境に出せないというような社会全体の仕組みをつくっていくこことにこれからの活動の大きな目標の一つにしていきたいと考えております。
●アセスメントと補足調査
そういったことで、私たちは東京湾のアセスメントをやってきた中で、はじめに大浜さんがおっしゃいました、一番最初に、環境会議ですか、千葉県の。その調査が報告になって、残された干潟の海域が大変価値のあるものだということが、たいへんはっきりだされているわけです。これは、私たちのアセスの市民運動として、いろんなデータを掘り出しながらやってきた中で、一番水源の的だったのが、千葉県のアセスメントの結果でした。
そういう風にきちんと調査をやれば、干潟の価値は本来出て来なければいけないんですね。干潟の価値があるのあるのは、そこに渡り鳥がやってきて飛んでいくということだけでも十分に証明されているわけです。それを科学の言葉できちんと裏付けるのが、本来あるべき調査であり、それを千葉県はやられていたんですね。
私たちは公聴会で、その名古屋市のアセスメントを批判しながら、それが早く出てくださればありがたいがなと思っておりました。ちょうど、私たちがやっていると千葉県の方が見にいらしてですね、「こちらではどんな風に言われてるのかな」みたいに来られました。そして、私たちが出した人工干潟報告書も大変興味が持てるということで、お買い求めいただいて、たぶん、検討していただいていると思います。
ですから、本来、きちんとした科学的調査がなされているわけですから、それをきっちりと活かして、三番瀬の保全東京湾の保全につなげていっていただきたい。それが藤前から三番瀬に送る最大のエールです。どうもありがとうございました。
どうもありがとうございました。藤前干潟の保全活動の残してきたものはたいへん大きいものだと思います。
★シンポジウム講演
諫早干潟から、
日本の湿地と世界の湿地
諫早湾緊急救済本部 山下弘文
ご紹介いただきました山下です。今日は私の初日(しょじつ:期間の初日。芸能ではしょにち)の講演であります。1934年2月19日午後11時38分30秒に、私はこの世に生を受けました。とまあ、時間はちょっと判りませんけれども、実は昨日が誕生日でした。今日が初講演であります。たいへありがたく思います。
ただ非常に残念なことなんですけれど、昨日新聞を見ておりましたら、1960年の後半から、私環境問題に取り組んでちょうど40年近くになるんですけれど、一緒に取り組んでいた水俣の川本輝夫さんが亡くなりました。非常に残念なことです。
1960年代後半、70年代にかけては大変に学生運動が盛んでして、三派全学連だとか、大変楽しい激しいゲバルトが行われていた時代でありまして、大体そういう連中が全部集まりますと必ず内ゲバということをやっていたんですね。その内ゲバの仲間達を一同に会して絶対にケンカをさせずにまとめて大集会を開かせることができたのは、実は川本輝夫さんと私でありました。そういう本当に長い付き合いの闘士が亡くなったんでがっかりしているんですけれども、川本さんの遺志を継いであと30年はなんとしても現役で頑張ろうと、今日も立たしてもらいました。
●湿地保全の気運
本当にこの干潟を守る運動は、だいたい、1970年代はじめから期せずして各地で始まったんですけれど、27年から30年近く経ちました。先程の辻さんの話しにありました様に初めて、初めて完全勝利を勝ち取ったというのが藤前干潟の保全の問題だという風に考えます。いろんな理由があると思うんですけれど、私はこれは未来を担う子供達の勝利であったというように考えます。辻先生がなかなかいいことを言いまして、環境庁が良くなったの、あるいは、ギロチン効果だのと、私も言ったんですけれども、そうではなくて、本当に勝利の大きな力を担ったのは、実は、子供たちではないかとつくづく今感じております。
20年、30年前というのは干潟についてはほとんど誰も目を向けなかった。ほんの一部の干潟を守る住民団体が、一生懸命になってやっていた。全く全国化しない、そういう時代がずっと続いていた訳ですけれども、本当にアッという間に、アッという間に干潟の問題がここまで国内的にも国際的にも大きく広がってきた。
10年前15年前っていうのは海外でもどんどんどんどん干潟を潰す開発計画が進んでいた訳ですけれども、今現在は開発・潰すという事ではなくて、干択の先進国であるオランダにしろイタリーにせよ、広大な干拓地を堤防を切ってそして元の湿地帯・干潟に戻すということが当たり前になってきた。
●韓国での湿地保護
日本湿地ネットワークの九州版である九州流域湿地ネットワークっていうのがあります。日本湿地ネットワークはジャワン(JAWAN)ですけれども九州湿地ネットワークは誰も「食わん」といいます。クワン(KWAN)です。実は、1月の15日から三日間、韓国にKWANの仲間と行きました。韓国は近くて遠い国ともいわれていますけれども、韓国の干潟を守る運動というのは、アッという間に広がっていますね。すごいですね。
実際、やっぱり足を踏み入れて見なければいろんなことが判らないと良く言いますけれど、韓国に行ってつくづく思いました。韓国のNGOの皆さん方は、日本の干潟を守る運動というのは非常にすばらしい運動で、干潟についてのいろんな問題も日本が先進国であるという風に感じ取っておったんですけれど、とんでもない。日本は、実は、韓国の干潟を守る運動よりも力がないということをつくづく目の当たりにしました。
日本語で言った方が判り易いので、世界最大の潮位差を持っている、9メートルですね、干満差があるジンセン、ちょうど北朝鮮と韓国の境目の所ですけれど、そこなんかの素晴らしい干潟、ものすごい広大な干潟が残っているんですけれども、その干潟には、ヨンジョンドウという国際空港が、今、どんどん建設されております。
それにもかかわらず広大な干潟が残っています。聞いてみますと、26カ所広大な干潟を埋め立てたり干拓する開発計画があるそうであります。ところがジンセン市は市長がその26カ所の埋め立て計画に反対するということを公約にしまして当選しました。現在、市長を先頭にして学者グループ・NGOが全力をあげて国に対して干潟開発を止めろという大きな運動をやっています。本当にびっくりしたし、あるいはシファ湖といってですね、諫早と同じです。目的はほとんど変わりません。ただし、面積はものすごいですね。諫早の場合は3550ヘクタールですけれども、シファ湖の場合は2万ヘクタールです。2万ヘクタールを大堤防で仕切ってしまいました。そして完成したのが1994年であります。
ところが2年後から諫早湾の調整池と同じように水質が悪化しましてもう手の打ちようがない、そういう風な状況になって周辺の人たちとNGOは、本来は堤防を全部ぶち壊したいという風に言っているそうですけれども、ちょっと開発計画を間違えまして、その堤防をぶち壊しますと周辺にある埋め立て地の工場団地いわゆるコンビナートが全部水面下になっちゃという事で堤防をぶち壊す事が出来なくなって、3年前に水門、排水門ですね諫早と同じ、国の命令で開けて現在海水を入れております。
行ってみたら、本当にお隣りの韓国でも干潟を守る運動は大きく進んでおるというのを見ました。その中で、本当に日本はまだ環境問題、あるいは干潟の問題については後進国も後進国、徹底的な後進国であると言わざるを得ません。
●3回のアセスメント
その中で微かですけれども21世紀を目の前にして干潟を守る展望が出てきたというのは藤前であります。そのきっかけになったのが、1997年の4月14日の293枚のギロチンですけれども、時間がありませんからアセスメントに限って言います。アセスメントに限って現況報告をしたいんですけれども。
本当に諫早開発のアセスメントというのは、非常に素晴らしいアセスメント、日本の典型的なアセスメントでありまして、非科学的であり主観的である、非常に素晴らしいアセスメントです。3回、アセスメントやりました。最初は、1万ヘクタールの時のアセスメント。これが基本であります。それから今度は、農水省が考えた防災・水害対策・高潮対策を中心にしたアセスメント、それに、防災と言ったものですから、建設省が、農水省お前ら防災の専門家じゃないじゃないか、ということで建設省が入り込んで排水門の位置を変えた。いわゆる一部変更のアセスメントということで、3回アセスメントをやりました。
全てのアセスメント、全ての項目にいたって影響は小さい、ほとんど影響はない、潮受け堤防の先の一部分だけ影響があるという事の最終的なアセスメントであります。実はそれが全て、全ての項目に亘って実は外れております。完全に外れたという事が締め切られて2年間の間に明らかになった訳ですね。あ、すいません、一つだけ当たっていました。騒音についての影響は無いというのは、これだけが当たっています。海の上で工事をやってましたんで、騒音はぜんぜんありませんでした。これは当たってます。正解です。後は全部ダメです。
●「ありえない」はずの地盤沈下
例えばですね、非常に面白いんですけれど、防災といいながら水害対策・高潮対策と言いながら、実は閉め切って水位を1メートル落としたことによって、現在在る農地を囲んでおる、いわゆる堤防ですね。その堤防が、どんどん、どんどん沈下し出したんですね。ガチャガチャであります。一番沈下しているのは30センチ以上ずれて、ガバーッと堤防が弓なりになっているとかですね。新しく出来た堤防の石垣の2段目から下が全部沈下し出して、2センチくらいダーッと筋が入っているとかですね。あるいは諫早市内です。諫早市内の建設省が造った水害対策の堤防が沈下を始めた。今、建設省が沈下のスピードを計っています。
そういう事で、水害対策・高潮対策という工事の結果、実は、周辺部全部に大きな災害をもたらす様な事が起こっている。
実は、誰もそういう事を考えていなかったんですよ。農水省の皆さんは非常に頭が良いから、そういう風な事は地元の人間がやれ、という事なんでしょうね。沈下しようが知らんという事で、どんどん沈下しちゃって、国道の傍のストアもですね。この5、6年間で30センチ位沈下しちゃってですね、道路の下になってます。そういう所が周辺に沢山有ります。そういう風にして地盤沈下等という事は全て関係ない、有り得ないという様な事が具体的に出て来ておる。
●深刻な漁業への影響
それから、一番問題なのは漁業に対する影響なんですけれど、漁業に対する影響はほとんどない。こうなってたんですけれど、とんでもありません。一昨年から昨年・今年にかけてすごい影響がどんどん出て来ております。
昨年の7月と11月にはかつてない、いまだかつて出たことのない赤潮が発生しまして、膨大な魚が死にました。周辺の漁民の人達はこんなに沢山魚が死んだ事は生まれて初めてだと、過去例が無い、しかし、その理由についてはやはり素晴らしいですね。非常に素晴らしい。漁民の人達が直感的に考えた事が私は正しいと思います。
それは、排水門から非常に汚れた富栄養化した水がどんどん流れ出る。それが拡散できない前に潮がずっと満ちてくる。そしてまた堤防の傍に寄ってくるという事で、赤潮が大発生する。そういう状況になっています。
島原半島。ちょっと地図を思い浮かべていただくと判ると思うのですが、島原半島はアサクサノリもワカメもアサリも全滅であります。全滅であります。もちろん、諫早湾内の大型貝類のタイラギという貝も、もう7年間、昨年、調査をやりましたら、生きてた貝は2個体だけだけいました。2個体だけ。そういうわけで漁業はほとんど壊滅的。諫早の周辺だけかと言いますと、そうではなくて、実は、有明海の北部、あるいは、天草の所まで影響が出ているということがわかりました。
2週間ほど前、天草へ行って来たんですけれども、天草の漁民の人は何て言ってるかと言うと、潮の流れも変わったし、時間が早まったと言うんですよ。何のことかと言うと、満潮・干潮の時間が30分早くなったと言うんですね。そんな事は有り得ないだろうと、ちょうど大潮干潮だったもので干潟に出て行きました。午後3時15分が最干潮だったのに、2時45分になったら本当に潮が満ちて来たんです。ザッザザーと音を立てて。30分早く。
色んな影響が今出て来ています。もうそういう意味では有明海の漁場の壊滅の引き金を、とうとう諫早の締め切りが引いちゃった様な状況になっています。
賛成派の農民の人たちがたくさんいたのですが、この1年半、誰一人として発言をしなくなった事に、大変私、驚いています。もう、この事業を絶対に進めて欲しいという風に全力を挙げて、県や、あるいは、農水省に申し入れをしていた森山町の町長さんは、諫早湾干拓についてはノーコメントですと発言しません。先頭に立って推進を叫んでいた、西村さんという町会議員は、この1年半一言も発言しません。私が住んでいる諫早市の小野地区の推進の会長も、この人も、この1年半全く発言がないというような状況であります。
●諫早湾の現状
それからもう一つ、もう今年の4月14日で2年ですから全て御破算だろうという風に思われるかも知れませんけど、残念なことに、昨年の夏生まれたムツゴロウが元気に成長しておりまして、今、3〜4センチ、冬眠に入っています。4月には飛び出して内側の殆ど干割れた所で遊び戯れる姿が見られるはずであります。いかにしたたかかという事が判りました。
ムツゴロウは淡水では絶対生きられない。ただし、1%の塩分があれば生きる事が出来るそうであります。1%。人間の舌では絶対感じる事が出来ない1%で大丈夫だそうであります。これも初めて判った事です。そういうことで、実は干割れた干潟の中にも沢山のカニが穴を掘って生きています。朝、干潟の表面が湿ってくるので、その時に穴を開けて外へ出て虫を食べるというような現象が現在でも見られています。
ですから、今の段階で、今の段階でなくても3年後でも5年後でも結構なんですけれども、海水が入れば干割れた干潟、あれは1週間以内に元に戻ります。1週間以内であります。それから腐れた調整池、ヘドロが溜まってどうしようもなくなった、調整池はですね、大体3カ月、どんなに長くても5カ月あれば、元の奇麗な海に戻るだろうと予測が付きます。大体私のこの予想は百パーセント当たるという風になっているんで、潮さえあがれば大体8カ月以内で元の干潟に戻ります。
埋め立てと違いまして、干拓と言うのはそういう物なんですね。干拓というのは海底を利用しますからその点では良いし、たまたま諫早湾というのは有明海のちょうど西の方に在りまして、海洋学的にも生物学的にも干潟の回復は極めて早いということが直感的にも科学的にも判りました。そういう意味で、是非注目して頂きたい。
●湿地保護のこれから
藤前で勝利、勝利という言葉は余り好きではないのですが、まあ、保護された。次は、三番瀬。もう、一坪たりとも埋め立てたらいかん。消滅させてはいけない。三番瀬で勝利して、その次は、今ある干潟を守るということじゃなくて、失われた干潟、あるいは消滅寸前の干潟を回復する戦い、これに勝利する。
だから、今年が最大の山場はどこかといいますと、次が諫早。そして和白干潟、人工島の撤去。それから長良川の河口堰の水門を開ける。これが、今年の私たち日本湿地ネットワークの最大の目標です。その意味でも、三番瀬の開発計画は直ちに中止させる。そのことに私たちは全力をあげていきます。
5月10日からコスタリカで第7回のラムサール条約締約国会議がありますが、スペイン語も英語も大変良く判る私でありますから、日本人である限り日本語で力強く訴えて行きたいと思います。ありがとうございました。
★シンポジウム講演
全国の干潟の現状
世界自然保護基金日本委員会 東梅貞義
WWFジャパン(世界自然保護基金日本委員会)の東梅と申します。ここの地域で非常に重大な問題が起きています。大切な干潟で、日本の干潟で今それがなくなろうとしていたり、危うくなくなるところだったということは十分分かっていただけたと思います。
わざわざここで私がもう一度話しをさせてもらうのは、一つは、日本全国でどれくらい干潟があって、それがどんな状況なのか、どこが大切なのかということです。それから、それが日本だけの問題ではなくて、世界から見ると日本の干潟はどんなに大切なものなのかという点からお話していきたいと思います。まず、日本の干潟が今、どのくらい残っているんだろうというところからはじめてみたいと思います。
●日本の干潟の現状
これは戦後になって高度成長期のときに臨海工業地帯をつくったという千葉の例、それから、藤前干潟のある名古屋港でも同じでした。それは、そこの2個所に限られたお話ではなくて、全国でも起こったわけです。それで、こちらを見ていただくと、戦後33年間、要するに、1945年から78年の間に全国の干潟の約3分の1が埋め立てられて、主に、埋め立てなどにより失われています。
78年からその以降どうなっているのかとみると、確かに、これほどの規模では埋め立てられなくなりましたけれども、やはり、失われ続けていて、その間、1992年までにさらに7%以上がなくなっていますということで、未だに、日本の干潟というのは失われ続けている。これが全国の概況で、それをもう少し地域別に見るとどうなるか、というのがこちらの図です。
まず、大浜さんも話されましたが、東京湾の中で干潟は1割しか残っていません。それで、三番瀬は、東京湾で残された中では、広大で重要な場所であるのは間違いないんです。ただ、それは、もっともっとあって、こんなにあった残りの一部でしかない。そういう意味で破綻に今ある三番瀬が重要というだけではなくて、これしかない、1割しかない中で残さなければいけないという責任が大きいということが分かってくると思います。
伊勢湾にしても同様で、名古屋港の奥にいけば藤前以外のところはありませんし、それをもっと大きな視点、伊勢湾という単位で見ても、その6割ぐらいは失われてしまった。そんな中で残された重要な海域だということがお分かりになっていただけると思います。
それでは、有明海はどうなのか、有明というのは、諫早湾を含む有明海の海域ですね。そういうところを見てみると、なくなったのは、これは1992年までのデータですけれども、16.5%。まだまだ残っているのかと受け取られるかもしれません。でもそれはおおきな間違いなんです。というのは、これの後で諫早湾の消失。1997年ですか。ギロチンが落とされてなくなったわけなんですけれどもそれが有明海の7%ぐらいに相当する。では7%といえば、これが16.5%ですからその半分で、こんなもんか。そういう風に思われるかもしれませんが、諫早湾の干潟というのはほんとに浅い海域の、とっても大切なところなんですけれども、干潟、要するに、潮によってかぶったり、出たりするそこだけに限定したとしても、1000ヘクタールぐらいあるんですね。そうなると東京湾に残されているこの1000ヘクタールに相当する。それだけ広大な干潟が失われてしまったという点では、やはり重大な損失だったということが分かると思います。
●干潟と渡り鳥
今日、こういう風な干潟というのはどんな風な大切さがあるのか、そういうことで、三番瀬の環境さの中では13万人分の浄化能力がある、浄化能力があるということは、それだけの二枚貝その他の生物が生きているためにそのような重要なところであるというのが分かるわけです。
そのほかに、鳥を通じても非常に重要なところということが報告書にもあげられていました。日本がどんな位置にいるかというと、これは渡り鳥の特にシギチドリの渡り鳥の経路を見ているのですが、南出オーストラリア、ニュージーランドとこういうところで、北半球の冬ですけれども、越冬しているわけです。6月、7月を目指して鳥たちは、今度、ロシア、アラスカで繁殖をするためにどんどん北に移動をはじめます。そういう時に利用しているのがこういう、東京湾の三番瀬、それからこういう伊勢湾に残された藤前干潟、この有明海、和白干潟こういうところは、本当に長い渡りの休憩地それから、また、次に飛ぶまでの脂肪を貯える、餌をいっぱい食べるための重要な土地だということが分かると思います。そういう物は、単に憶測で言っていることではないんです。
例えばオバシギという鳥をオーストラリアで捕まえて、標識をつけて、それが中国の上海で見つかった。それが、大体一週間で見つかっているんですね。体重も200グラムを超していたものが、半分くらいになってしまう。それだけの短い距離をそれだけ体力を消耗して、やっとたどり着いているのが、この渡りの経路の途中にある土地なんです。
もし三番瀬がなくなってしまったら、もし、伊勢湾の藤前干潟がなくなってしまったら、鳥は他に行けばいいというわけではないんです。それだけ危険を冒してきて、それだけ、生き物が豊かなのではじめて渡りが成功するのであって、こういうところがなくなってしまって、さらに他のところを探さなければいけないというときには生存率に大きな影響を及ぼすといわれています。じゃあ今度はもう少し視点を変えて、藤前が大切三番瀬が大切それから諫早湾が大切ということは分かっているのですがその他の地域はどうなっているのかというところを見ていきたいと思います。
それで、見る方法で、じゃあどういう基準を使うかというと、いろいろある分けですが、渡り鳥、その中でも、シギチドリを使ってみてみるとこうなるよというのが、次にご紹介する図です。
全国こんなに、まあ、一部内陸の湿地もありますが、ほとんどのところが干潟と呼ばれる外部の湿地になっています。これで全国78個所、重要なシギチドリの渡来地があります。なぜこれが重要かというと、基準を設けていて、例えば、5000羽以上のシギチドリが来るところだとか、例えば、ホウロクシギだったらホウロクシギの1%が来るところだとか、それから渡りのときというのは、次々次々渡って通り抜けていきますから、数を数えただけでは本当は2回、こう、違うグループがきていても、良く分からない、良く分からないというより、少なく数えてしまうという間違えが起こります。それなので、そういうことを考慮して、ある種の0.25%がきていれば、それは国際的に重要だろうという風に国際的な基準が作られていますので、そういう国際的な基準に照らしあわせてみるとこんなところが重要だということが分かってくるのです。
その中で、これ全国の地図で見にくいですけれども、三番瀬に関連するようなところといえば、船橋の海浜公園、それから塩浜、谷津干潟こんなところが別れて名前が書いてありますけれども要するに三番瀬と呼ばれるような東京湾奥部の一体の生態系、こんなところが国際的な基準を満たした重要なところだということが科学的な調査から分かってきます。
●危機にある干潟
全国の概況からもう少し、本当に鳥が多く来るそれだけ重要なところはどこなんだろうとみてみると、次にこういう全国20個所、非常に大事なシギチドリの渡来地、干潟の渡来地という所が見えてきます。その中で一番上にあがっていたのがこの諫早湾です。
この調査は1996年まで続けられたものですので、閉め切りの前までのカウントが中心でしたので、それまでは諫早がトップだった。そんな一番大切な、日本のシギチドリにとって一番大切な諫早湾が失われてしまっているわけです。その次にきていたのが、この中では、庄内川、新川、日光川となっていますが、私たちが藤前干潟と呼んでいるところです。ここも危うく埋め立てられるところでした。
今度は、東京湾の中の地域で見ていきますと、それがいくつもあがっているそれだけ重要な地域であるということが分かってきます。谷津干潟が5番目で、やはり5000羽を超えるようなもの、ただし、谷津干潟のシギチドリ類というのは先ほどの話しにありましたように、そこだけ似るのではなくて潮がひいてくれば三番瀬にいって餌を採る。要するに一体の地域それが全国で重要なところ、それだけ、三番瀬の重要性というのが間接的にですけれども現れてきます。それから、船橋の海浜公園、塩浜そんなところも7番目、13番目というところにあがっているんです。それからちょっと横にずれますけれど、人工干潟ですが葛西臨海公園ともつながっている。こんなつながっているところが東京湾の幾つかに別れている干潟で分けてでも全国で見ればこんなに大切だというのがまた見えてきます。
このようにして、日本全国78個所の干潟、ほとんどが干潟である湿地が分かったんですけれども、それが単に一個一個のランクで見るものではない、そうではなくて、船橋海浜公園と塩浜はもちろん、一体です。それから、谷津干潟も一体です。それは湾単位で見るべきじゃないかということで、重要渡来地として、今度は、環境庁で特定をしています。
その中で東京湾が入っており、それからまた伊勢湾、三河湾が入っており、それから博多湾、それから有明海、八代海そうしたところが、重要なところとしてまた見えてきます。
そう言う重要な干潟で、こういう所が重要な干潟なんですけれども、博多湾の先ほどの危機的な状況、それから有明海、これは諫早の状況でこれもまた危機的、伊勢湾もまだまだゴミ埋立の問題は終わりましたけれども、これから保全のための課題は多いと思います。
東京湾、その他に、例えばここは吉野川河口、ここは今いくつもの開発の問題を持っています。全国ニュースになっていますからお聞きになっている方もいらっしゃると思いますが、河口堰の建設、それは干潟の上に直接立てるものではないんですけれども、12キロぐらい上流のところに川を塞き止めてしまう構造物を造る。そうした物によって、水質の悪化、砂の移動のパターンの変化によって影響を受けると考えられています。
また、干潟の上を横切る道路、河口部にもう一本他の道路、さらに河口部の干潟に埋め立ての事業。そんな幾つもの問題が、開発計画があがっていて、今まさに消失の危機にあるそんな所が、吉野川河口ですね。そんな危機いろいろありますけれども、やはり、重要性というのはキチット調べて、調査をもとにして出していかなければいけない重要な仕事です。
●渡り鳥の科学的調査
こういうことで、3年の間に取り組みに進展がありました。こちらにご紹介したのは日本湿地ネットワークの中に、シギチドリ委員会というのが1996年に設けられました。そして、毎年春と秋に、各地の干潟、干潟以外のところも含まれますけれども、主に干潟に渡来するシギチドリの数を数えて、それをもとに報告書を出しています。その中でだんだん、先ほどの78カ所の報告書は環境庁が作成したものですけれども、独自の調査によっても、だいたい130個所ぐらいが重要なところというのが分かってきています。
その報告書というのはこの春にJAWANとWWFで共同で発行した各地の湿地を各地の干潟を守るために役立てていただきたい、そう思って作成しているものです。この取り組みというのは地域の人たちが参加をしてやっているそう言う風なところに支えられている取り組みなんです。
こんな全国各地でやっていますよという図なんですけれども、これがですね96年の春にはじまったときには97カ所148名の方が参加してのですけれども、その後秋にも、132カ所、翌年は220カ所、241名。98年の春には271カ所409人の方が参加して、こういう大切な干潟の大切さを表明するための調査を行っています。
こういう調査というのが守る力につながっているのは間違いのないところです。そう言う風な、調査をした上でどういう様に保全できるのだろうか、そういう枠組みが整ってきています。
先程、東京湾の中にも幾つも重要なところがあると申しました。三番瀬、市川塩浜のほかにも東京の葛西臨海公園という所もあり、そういう所もネットワークに参加することにより、益々国際的な重要性が明らかにされて理解されやすくなるそんな風に考えています。
これから日本の干潟の保全活動に求められることはいっぱいあるのですが、ちょっと分野別に考えてみました。まず、科学的な調査研究というのは、アセスのときもそうですし、その後の保全にも非常に重要なものです。その中の干潟の重要性を表す一つの活動として、シギ・チドリ類の個体数のモニタリング調査というのはこれからも継続が求められています。
今日の話では触れませんでしたが、シギ・チドリ類にはレッグフラッグという色標識が付けられています。主にオーストラリアでつけて、日本に通過するときに、もし緑の旗、マークが付いていれば、オーストラリアのクイーンズランド州から来たということが分かります。その様にして、具体的な鳥の交流を明らかにすることによって、その湿地の国際的な重要性を明らかにしていこうという仕組みも、これからもっと多くの皆さんに知っていただきたいと考えています。
それから環境庁で、全国で78カ所の重要な干潟の目録を作りました。これは固定的なものでなく三年に一度あるいは5年に一度、更新されるべきものです。それと日本湿地ネットワークのシギ・チドリ委員会でも、130カ所くらい、目録を準備しましていますが、これも環境庁の目録と合わせて定期的に抜け落ちていないか、また既に加わっている所がどんな変化をしているのか、そういうことを確かめるために更新が必要です。
●保全と管理のネットワークを
さらに、鳥に関してだけでなく、やはり水質の機能浄化とか、さまざまな価値を調査研究するとか、お互いに情報交換ができるような出版物をだすとか、それを共有できるようなシンポジウムをするとかが重要と思います。
すでに失われてしまった干潟、例えば諫早湾のようなところを戻すためにどんなことが必要か、今まで戻したところはどんな成果が上がっているのか。辻さんたちの人工干潟調査委員会でも既に一部おさえていますが、そういうことに関する調査研究もまとめていくことが必要です。
それから保全ですが、重要なところは国際的責任を果たすためにラムサール条約に登録されるべきだと思います。
それと、具体的に、鳥を通した交流を深めるために、東アジア・オーストラリア地域のシギ・チドリネットワークに干潟が参加していくことが必要です。しかし、参加しただけでは何が起こるのかという問題がありますので、やはりその土地の特性と問題と対策をとらえるための管理計画を立てることが必要です。
一部の方だけで管理計画を立てたり、一部の人だけが調査研究をすることが大切なのではなく、やはり今日のようにこうやってたくさんの方が見えていますが、市民の皆さんの高い知識と意識が、地域の干潟を守っていくので普及教育活動も促進されるべきものと考えます。
干潟保全のためでないのですが、公有水面埋立法というふうな形で、一部干潟の喪失を防いでいますし、防ぐことが可能です。がそれでは不十分あので、開発の破壊の一部を止めようというのでなく、残った日本の干潟を保全するという目的のための法制度の整備が必要だと思います。
日本の、国内のはなしだけでなく、諫早の経験、藤前の経験、すでに三番瀬にも市民活動の十分な経験があります。三番瀬が保全されれば十分な教訓が残ると思います。この教訓を干潟喪失の危機に瀕している韓国、これからかなり大規模で起こるであろう中国や東南アジアの方々に伝えていくと言う事も、日本の干潟保全活動に求めたれるものだと思います。
こんな視点を持ちながら、これからも市民団体の皆さんと一緒に行動していいたいと考えています。ご静聴、ありがとうございました。
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