「生物多様性」の勉強会
〜 講師は小原秀雄・女子栄養大学名誉教授 〜
三番瀬埋め立て中止を求めて署名活動などをつづけている「三番瀬を守る署名ネットワーク」は2001年6月30日、小原秀雄・女子栄養大学名誉教授を招き、「生物多様性」というテーマで勉強会をひらきました。
生物多様性が非常に豊かな猫実川河口域などを埋め立てから守るうえで、今回の小原秀雄教授の講演はまさにタイムリーなもので、「三番瀬は埋め立てずに保全を」という私たちの運動に大きな力を与えてくれるものでした。
講 演 要 旨 |
- 生物多様性条約」は、世界の生物の保全を目的とした基本法的な条約で、1992年の地球サミットで158カ国が署名し、1993年12月に発効した。この条約は、正確に訳せば「生物多様性保全条約」である。しかし、日本では、意図的かどうか分からないが、「生物多様性条約」とされている。
- 新しく千葉県知事になられた堂本暁子氏は、日本政府が生物多様性条約に批准するまでにいたった過程に最初からかかわっている。このことは自著『生物多様性』(岩波書店)に書かれている。
堂本氏は、批准過程に最初からかかわっていたので、この条約にかかわるプロセスのことは日本でいちばんよく知っているといっても過言ではない。
しかし、そのことと、堂本氏が生物多様性そのものをどれだけ理解しているかは別のことだ。それは、今後の三番瀬などへの対応の仕方で示されるのではないか。
- 「生物多様性」と「生物の保護」は同意語だ。日本では、「生物多様性の保全」から次第に「遺伝子保全」に力点がおかれるようになった。
- どのくらいの生物の種が地球上に生息しているかということだが、かつては100万種生息していると言われていた。しかし最近は、1億種生息しているのではないかと言われている。
なぜ、数が非常に多くなったかというと、たとえば熱帯雨林で木を1本伐って殺虫剤をふりかけたら、何と1本のその木から500種類もの生物の死骸が出てきた。その中には未知の種もいた。
また、土の中にいる微生物についてみると、500種類はいるといわれていて、その大部分は認識できていない。
つまり現在の段階では、私たちは、ほ乳類や鳥類、あるいは顕花植物については80%ぐらいの種を認識しているけれども、微生物や海底に棲んでいる生物などについては5%程度しか認識できていないのではないか、という考え方が主流になってきている。
このように生物の多様性は限りがなく、途方もないものである。たとえば、スズメひとつをみても、日本のスズメとヨーロッパのスズメではかなりちがっている。
- さきほど、熱帯雨林の1本の木から500種類の生物が出てきたと述べたが、アメリカはこうした種を「第三世界」から持ちだして遺伝子工学によって新しい薬を開発し、それを世界中に販売している。これに対し、「第三世界」は「我々は何のために生物を保護しているのか」と反発している。
- 地球上に1億種ぐらいの生物が生息しているといわれているが、その大半は海洋生物である。つまり、生物の種の数は、陸上よりも海洋のほうが圧倒的に多い。それも、沿岸地域に海洋生物が集中して生息している。外洋は比較的貧しいのである。
この点で、日本では、あちこちの海岸にテトラポットがおかれているが、これは海の生物の多様性を阻害している。また、全国各地で自然海岸がつぶされて人工海岸におきかえられていった。これは同時に、海の生物多様性を殺すことでもあった。
- 生物多様性を守るということは、地域の食生活や住生活を個性あるものにし、地域を豊かにすることである。しかし現実には、「グローバルゼーション」ということで、それをつぶしていく動きがある。これをくい止めようとするのが、生物多様性条約の本来の目的である。
しかし、日本政府は条約に批准したものの、それを守るための戦略や手だてをもっていない。具体的行動や施策を講じていないということだ。これは同時に、NGOが生物多様性にあまり関心をもたないことにも原因がある。
- 地球の生物多様性を守るためには、第三世界の資源を守ることが大きな課題になっている。この点では、日本の資源消費量はアメリカについで世界第2位となっている。日本は、今のように第三世界の資源売却を誘導したり援助するのではなく、ほかのことに援助すべきである。
- 最近は、「環境再生」と称した事業が大流行になっている。しかし、自然をいったん壊し、人工的な疑似自然を造りなおすというのでは困る。今ある自然はつぶさないで守ることが重要だ。
- 自然を一部だけ残して、あとはつぶすというのは、多様性の保全に反することだ。しかし今、「環境保全」や「環境再生」「自然回復」などという言葉が非常に流行っており、こうした名で多様性をつぶすことがどんどん進められている。
- なぜ生物性を守ることが重要かというと、人間生活から自然現象がどんどんなくなっているからだ。自然は不必要であるかのようになってしまった。「アメニティ」などの言葉で、人工によって「快適環境」を創造するということが流行っている。これは子どもを育てるという観点からみても、けっして好ましいことではない。
たとえば、「エボラ熱」などが問題になりつつあるが、その原因は、食べ物も生物も輸入物があふれかえっているからだ。地域の多様性をきちんと保全していくようにすれば、これらは解決できる。
私たちは人工物があふれる中で生活するようになった。子どもも人工の中で育つようになった。人工物があらゆる人間生活で支配的になったということだが、これでよいのかどうかを真剣に考え直すべきだ。
- 日本は島国で、面積的には小さいが、種の多様性はものすごく豊富である。これを“宝”とみるか、逆に開発のための障害物とみるか、これがいま問われている。
- 種の絶滅の危機などを警告したレイチェル・カーソン(『沈黙の春』の著者)の功績は偉大だった。同時に、カーソンの著作を読んで演説などでとりあげたケネディ大統領もすごいと思う。ひるがえって、日本では、首相などが生物多様性の保全の必要性などをうんぬんしたということは聞いたことがない。
- 「自然保護」や「環境保護」を名乗りながら、自然に手を加えることの必要性を盛んに主張している団体がけっこう多い。こうした団体は、そのことを正当化するために、水田や里山などをもちだす。里山などが自然の保全に果たしている役割を一面的に強調するのである。
しかし、たとえば水田は、「二次自然」が都市化するのをくい止めるのには貢献しているが、自然そのものの保全に役立っているわけではない。
また、里山は、地域の人たちが生産の場として利用するところだから、手を加える必要がある。しかし、その奥にきちんとした自然が保全されていることが必要だ。この点がけっこう見落とされている。いま問われているのは、自然みずからが維持できるようにすることである。そのためには、人間が自然を荒らしたりつぶしたりすることを防ぐことが大切である。
ついでにいえば、さまざまな種類の花が咲いているお花畑は生物多様性が豊かなようにみえるが、けっしてそうではない。
- 言葉の問題についていえば、「保全」は「保存」と「利用」の2つを含んでいる。また、「保護」という言葉の意味は、日本と外国ではちがっている。外国では、「保護」は「防衛」(ディフェンス)のことだ。
- 堂本千葉県知事が、三番瀬について新たな計画を検討することを表明し、その中で「里海の再生」ということを盛んに強調しているとのことだが、こうした新しい言葉の中には、現代的な行政の考え方が示されている。
「里海」という言葉は初めて聞くので、それが適切なものであるかどうかはいえない。指摘しておきたいのは、このように新しい言葉が次々ともちだされてくることについては、NGOも賢明に対応することが必要ということだ。つまり、勉強や科学的研究を深め、インチキな言葉にだまされないようにすべきということだ。
- 自然や生物多様性が守れるかどうかは、力関係によるところが大きい。うっかり「再生」などと言うと、土建業者などによって土木工事(造成)されてしまったりするので、注意が必要だ。
- 生物多様性を守る運動(つまり、自然保護運動)においては、流れのなかで「丸め」(妥協)にでくわすこともある。しかし、きちんと言うべきことは言うことが大切だ。
三番瀬の自然環境を守る運動もいろいろとたいへんだと思うが、生物多様性を守ったり、「持続可能な社会」をめざし、がんばってほしい。
(文責・中山敏則)
講師の小原秀雄・女子栄養大学名誉教授
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