〜レイチェル・カーソン『沈黙の春』出版40周年記念の夕べに参加して〜
千葉の干潟を守る会 竹川未喜男
(2002年)11月4日夜、市川三番瀬を守る会が開いた「レイチェル・カーソン『沈黙の春』出版40周年記念〜講演とコンサートの夕べ」に参加した。平和と環境の歌手、橋本のぶよさんの美しいヒュウマンな歌に200人余の聴衆と共に手拍子を打ち、「未来への大切な贈り物〜レーチエル・カーソンの世界」と題した上遠恵子さんの講演を拝聴した。「40年前、カーソン女史の警告にもっと多数の人たちが耳を傾けていたとしたら、地球の環境破壊は今日ほど進んでいなかったでしょう」という話に同感した。合唱団プリマベラが若々しく“守ろう三番瀬”を歌い、主催者代表の秋山胖会長は「次なる山にむかって」と、三番瀬再生をめぐる県や市の動きから目を離してはいけないと訴えられた。
●生命と環境の均衡にとって、「時」こそが大切な要素
その夜、汚染は自然だけでなく、生活環境から、生物の細胞組織まで進んでいると最初に告発したカーソン女史の著作『沈黙の春』を読んでいて、すぐ次の文章に目がとまった。
「時をかけて…それも何年とかいう短い時間ではなく何千年という時をかけて、生命は環境に適合し、そこに生命と環境の均衡ができてきた。時こそ、欠くことのできない構成要素なのだ。それなのに、私たちの生きる現代からは、時そのものが消えうせてしまった。(中略)自分のことしか考えないで、がむしゃらに先を急ぐ人間のせいなのだ。(中略)時間をかければ、また適合できるようになるかもしれない。だが、時の流れは、人の力で左右できない、自然の歩みそのものなのだ。ひとりの人間の生涯のあいだにかたがつくものではない。何世代も何世代もかかる」カーソン女史は、生命と環境の均衡にとって「時」こそが大切な要素なのだと説き、「現代からは、時そのものが消えうせてしまった」「時の流れは人間の力で左右できない。自然の歩みそのものなのだ」と警告している。
●わずか40余年の間に、
豊かな干潟が広大な造成跡地に変わり果てた
その教訓を雄弁に物語ってくれる身近な具体例がある。40年前の千葉県である。温暖な農業、漁業の盛んな県であったが、三方が海で囲まれた半島という地理的な条件から後進千葉県といわれ、近代化が命題とされた。“遠浅で地盤の固い内湾海岸”の広大な干潟が目をつけられ、新鋭工業地帯の最適地だと、最新の土木技術によって埋めつくされ、京葉臨海工業地帯として鉄鋼や石油コンビナートなどの臨海工業地帯となった。わずか数十年の間に、「幾世代も幾世代」も続いてきた山や河川も、東京湾の自然や生態系も、そしてまた農業や漁業なども、「公益」のためだといって、容赦なく目前の経済活動の犠牲にされてしまったのである。そして現状はどうなったのか。
自然の干潟としてに永久に甦ることのない、湾岸最大の遊休跡地の話である。1953年、埋め立て地に川崎製鉄が進出第1号の企業として操業を始めた。進出にさいして、約200万m2 の埋立地が無償 で提供され、17年間も地方税が免除された。
だが時は移り、3〜40年が経ち経済情勢が一変した。重厚長大型の産業が衰退し、そこここに工場跡地や遊休地が目立つようになった。そして94年には、川崎製鉄は遊休地になるからというので、約300万m2 という膨大な工場跡地の利用を千葉市に持ちかけてきたのである。その後、つい最近になって、「都市再生事業」として税金をかけてサッカー場などにしたり、採算が危ぶまれる大規模商業施設などの誘致計画が報じられているという始末である。
数百年にわたって人々に親しまれてきたかつての豊かな干潟が、わずか40余年の間に、企業が使い捨てにし、放り出し、今や汚染の危険もあるという殺風景で、広大な造成跡地に変わり果てた。まことに人間のかってな所業といわざるをえない。
過ちの源はどこからきたのか。現代の人間が「思慮深くゆっくりと歩む自然」を無視して、自分勝手に「がむしゃらに先を急いだ結果である」と、カ-ソン女史は当時すでに『沈黙の春』で書かれて いる。
●三番瀬円卓会議は過ちをくりかえしてはならない
『沈黙の春』を読んでいて、秋山さんが話された三番瀬円卓会議の「次なる山」のことを思い合わせ、つい嘆め息が出た。
最近の円卓会議では、「再生の目標論議」や「実態の基本調査」も中途半端なのに、年末までには三番瀬再生の基本方針をまとめ、来年からは行政も入れて具体化を進めるのだと岡島会長は明言された。
あからさまに埋立て中止で夢を奪われたと嘆く地元財界代表の委員さんは、経済活動活性化のために恒久護岸の早期建設を訴え、そして地価の上昇を夢見てか、沿岸工業地域の用途変更をくりかえし主張されている。市川市や漁協代表の方もこれと合呼応するかのような意見を述べられておられる。日本の現代史を美化するのと似て、これでは過ちをくりかえすことになるのではないかと嘆息するのである。
国や地方の行政を信頼して、漁場を放棄して転業を図ったり、臨海工業地帯に立地してみたものの、あっという間に経済構造も社会情勢も一変し、思わぬ窮地に追い込まれた。そうした苦い経験を話されて、行政の責任追及をした方もいる。
漁民の方や、中小企業経営者の方たちの良識に訴えたいのである。過去の反省に立ち、共同して後の世代に評価されるような三番瀬再生の計画をつくろうではないかと。
●後世の人々が感嘆するような「三番瀬再生計画」を
未曾有の世界同時不況が進行し、国、県、市のいずれの財政も破綻し、大銀行ですら明日の見通しが立たない現状にある。今という時代は過去に経験したこともない容易ならざる時代なのである。後の世代に笑われないよう、「夢よもう一度」などと目先の経済的効果を計算して、かつてしたような、ムダや失敗を再び繰り返すことは許されない。
東京湾臨海部に人工干潟を造成し、第二湾岸道路や港湾物流施設や空港を建設し、民間投資を呼び込んで、経済活性化を図り、国際競争力を回復しようという戦略こそ、国がこのたびの「都市再生」「東京湾再生」を打ち出した経済再生の基本にすえられている。
しかし、いま進められている「弱者切り捨て」「強いものひとり勝ち」に象徴される経済のグローバル化対策では、地元中小企業や、漁業の振興はおぼつかない。またこの道の「再生」は、本来「自然の歩み」を尺度におく、環境政策や自然再生の考え方とも基本的には無縁であり、別次元の問題だといえるのではなかろうか。
「本物の自然を注意深く残し、大都市に近接した場所に、よくもこんな海の自然が残されたものだ!」と、後世の人々が感嘆するような「三番瀬再生計画」を作りたいものである。そのためには、今の円卓会議の進行に強いブレーキをかけ、少なくとも岡島会長の言われたように「50年を展望した基本計画」について、今こそ衆知を集め、勉強を重ね、じっくりと腰をすえた論議が必要だと思うのである。
(2002年11月)
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