三番瀬を守った漁民を描く

〜津賀俊六著『船橋三番瀬物語 飯盛り大仏』

「自然通信ちば」編集部



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 津賀俊六さん(「三番瀬を守る会」副会長、「三番瀬を守る署名ネットワーク」設立呼びかけ人)が、『船橋三番瀬物語 飯盛り大仏』という本を東銀座出版社から刊行されました。江戸時代に三番瀬の漁場を守ろうとして権力(お上)に抵抗し、捕らえられて獄死した漁民代表の生き方を描いた創作民話です。

 本の帯にはこう記されています。
    《千葉に佐倉宗吾の義民伝が他にもあった。船橋三番瀬に伝わる江戸時代の義民伝を創作民話にした物語。横暴な権力に牢死して抗議した漁民代表2人の生き方は、埋立て問題で苦悩する今日の漁師へ何を伝えるのか。》
 この本には、田久保晴孝さん(三番瀬を守る会会長)と牛野くみ子さん(千葉県自然保護連合代表)の推薦文も掲載されていますので、それを転載させていただきます。あわせて、著者による「あとがき」も転載します。


     ※本の問い合わせは、東銀座出版社 TEL 03(3813)4561




【すいせん文】

  三番瀬を守る

田久保晴孝(三番瀬守る会会長)




 キリッキリッと鳴きながら小魚を追い、浅瀬にダイビングをくりかえすコアジサシ。泥の中からゴカイを引き出すオオソリハシシギやメダイチドリ。冬にはスズガモが10万羽も渡って来ます。
 たくさんの水鳥が有史以前から、ここ三番瀬に餌を求めて渡って来た日本有数の渡来地です。有史以前から魚や貝やカニなど生きものの豊かな海域が船橋の海です。
 江戸時代、御菜地として漁場の管理をまかされていた漁師たちは、「この海は自分たちの海だ」という誇りがありました。
 この創作民話に出てくる2人の惣代、団治郎と仁右衛門は権力に屈せず、三番瀬を守りぬくため何も食べずに牢死してしまいます。惣代の心を受け継いできた漁師町の方は、今でも大仏供養の日にご飯を供えています。この物語から漁師たちの海に対する熱い思いが伝わってきます。
 著者の津賀さんもわたしも船橋生まれの船橋育ちです。船橋に生きものの豊かな三番瀬があることを共に誇りにしています。
 1992年、三番瀬を埋立てようとする千葉県の計画に反対するため、津賀さんの呼びかけで「三番瀬を守る会」がつくられました。この埋立て計画は、市民などの力によって白紙撤回され、これからも豊かな海が残されていくことになりました。
 津賀さんの思いをのせた「飯盛り大仏」を多くの方に読んでもらい、江戸時代から今日まで三番瀬を守ってきた、漁師や市民の思いを感じとってほしいと願っています。





【すいせん文】

  豊饒の海

牛野くみ子(千葉県自然保護連合代表)



 この本は創作民話の形式をとっていますが、史実にもふれたすばらしい物語です。
 船橋の漁(猟)師がどんなにか自分たちの海を大事に思い、生業としてきたかがわかります。豊饒の海、三番瀬はお金に換えられない自然の恵みを今なお受け継いでいます。そこには権力や権威に屈せず、自分たちの誇りとして海を守り抜いてきた漁師の心意気が見られます。
 海を眺めながら御菜浦であった三番瀬に想いをはせるのも、ぜいたくな一刻になるでしょう。三番瀬を愛する多くの方に読んでいただきたい一冊です。





【すいせん文】

   あとがき

津賀俊六(著者、三番瀬を守る会副会長)



 私は、生まれも育ちも船橋で、子どもの頃から大仏さまを見ながら遊んできた。船橋の海もいつも身近にあった。その海が遠くなって、漁師の姿も見かけなくなって久しい。それだけに海がなつかしく、ふっと漁師町を歩いてみる。
 潮の香り、網の修理をする漁師、たき火にあたる漁師、貝むきをしているおばさん。今は目にすることも少なくなった。
 一時、三番瀬は埋立てられる計画だったが、県民の運動で白紙撤回され保全されることになった。私たちができることは、子どもたちに今の三番瀬を知ってもらい、三番瀬を残していくことだと思う。外に飛び出せばすぐ海、昔の海を知っているからこそ、私たちがやらなければならない。
 しかし、三番瀬の埋立ては白紙状態であるが、第二湾岸道路や人工海浜の計画などまだまだ安心できない。この物語を多くの人に読んでいただき、三番瀬に対して、また違う方向からみて理解してほしい。とてつもなく大きな力に向かって、今、大仏も「ゆれ」「動きだす」と思うのは私一人だけではないはず。
「三番瀬 飯盛り大仏」を構想して10年余り、少しずつ書きためたものをまとめてみたが、なかなか難しい。しかし、書いていて涙が出てきて、団治郎さんや仁右衛門さんがペンを動かしているような気がしてきた。
 この物語の部分部分は史実である。史実と史実の間を埋めてみたが、読む人によっては解釈が違うところもあると思う。
 発刊にあたって「船橋市前篇」「船橋市現代篇」、田久保晴孝「干潟の学校」ほかを参考。また船橋の漁師の友人先輩、恩師の久保創先生などに大変お世話になりました。ありがとうございました。





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