千葉の干潟を守る会 大浜 清
■水俣病のこと
「水俣病」が工場排水に起因する有機水銀中毒であることを明らかにし、患者救済に奔走したのは熊本大学の医学者原田正純さんである。
水処理技術の工学者の立場から、工場排水が広汎な環境の重金属汚染をもたらす仕組みと、企業責任・国の責任、すなわち公害責任を追及したのが宇井純さんである。「公害」という概念が与えられてはじめて世の理不尽な仕組みが人々の目に見えてきたのである。 「水俣病」と「公害」は20世紀に噴出した「環境間題」の原点であり、人類の未来に対する警告として世界に波紋を投げた。
たたかう相手は企業・財界・国だけではなかった。「御用学者」とのたたかいも待っていた。政府審議会委員である東工大教授清浦雷作氏のごときは、権威を笠に着て企業を擁護する新説珍説を次々に編み出したが、宇井さんたちによって完膚(かんぷ)なきまでに論破された。宇井さんたちは、科学者の社会的責任、だれのための科学か、を問うたのである。
■「自主溝座」のこと
アカデミズムもまた強い壁であった。原田さんは「地方大学」という故なき偏見にさらされた。一方、宇井さんは、東大というアカデミズムの牙城を中から打ち破ろうとした。その武器は「現場に立つ」こと、そして「弱者のため、市民のための科学」の理想であった。
1968年、フランスの学生運動が、市民と連帯して「5月革命」とよばれる社会改革を成果として残したのにくらべ、同時期の日本の「70年安保闘争」は「大学紛争」に閉じ込められ、内ゲバと学内の荒廃と反動化、そして青年の非政治化無気力化へと落ちて行った。
これに対して宇井さんは、一助手の身であったが、東大工学部都市工学科の研究室を市民のために解放しようとした。1970年、宇井研究室を根城として、市民自身の手による市民のための「公開自主講座」が開かれた。そこで宇井さんが講じた「公害原論」はまさに環境問題の古典となった。またいろいろな環境問題、市民運動の現場から、世間的には名も無き人々が講師として問題提起した。それをまとめるのも広めるのも市民であった。
閉ざされはじめた社会の噴気孔を求めるように、市民が若者が集まって来、議論し、進むべき自分の道を探り、行動を展開して行った。環境市民運動のマグマがここで形成されたのである。この時期、学者の問でも学問領域をこえた同志的連帯が生まれ、宇井さん、宮本憲一さんらを中心とする日本環境会議が結成された。
■宇井さんと私
私も折りにふれて自主講座を聴講した一人であるが、野鳥保護から出発した埋立間題を、「干潟」を場とする生態系保護の問題としてとらえ、さらには市民の環境権の問題としてとらえ、単なる自然愛好家の自然保護運動ではなく、海を守る市民運動を展開したいと志したのは、宇井さんやその陣列に立ったたくさんの学者、市民のおかげである。
そして何よりも海という現場に立って、埋立てという「みなごろし」の悲惨さを実感したおかげである。それは干潟を守る会に結集したみんなの実感であった。
水俣公害が、企業による水環境の私物化であるならば、埋立ては、海という公物とその一切の恵みを囲いこんで土地商品に転換する「環境エンクロージャー」〈注〉だと直観できたのである。
漁民運動のリーダー渡辺栄一さんとも自主講座で出会った。それは私たちの運動理念に大きな影響を残す出来事だったので、稿を改めて語りたい。
■三番瀬と宇井さん
1972年の「東京湾の干潟保全と埋立中止」国会請願が功を奏し、三番瀬海域は一旦埋立て凍結を勝ちとっていた。80年代に地価高騰政策の下で再び埋立計画が浮上すると、私たちはその根拠である土地利用目的を次々に突き崩して行った。740haから101haに縮小し、県が最後の柱としたのは江戸川左岸流域下水道処理場計画であった。
現場の下水道専門家も協力してくれた。流域下水道計画が誇大な数字にもとづく、不合理な計画であり、新設の必要がないことを数字を上げて実証するとともに、環境計画上あるべき下水処理は、このような巨大水使い捨て計画ではなく、発生源に応じた水処理と、処理水を川や土の環境に還元できる方式だと主張した。結局下水問題は三番瀬埋立計画全面撤回につながる勝利となった。
宇井さんは何時も私たちの味方だった。私たちのバックボーンだった。三番瀬に心を寄せる人は天の宇井さんに感謝を捧げていただきたい。
今、三番瀬再生計画審議の場に居合わせたら宇井さんは何と言うだろう。県も市も、学者や市民も、魂を震撼させられるにちがいない。
(2006年12月)
〈注〉 16世紀以降イギリスでは、中世以来の共同体的共有耕地・牧草地を柵で囲い込んで私有地化することが貴族などによって行われた。農業構造が変革され、大土地所有者が現れ、原始的資本蓄積が行われた。これをエンクロージャー(囲い込み)という。
★関連ページ
- 行動派の科学者だった宇井純さん(佐藤行雄、2007/1)
- 流域下水道と三番瀬〜公共事業を問い直す(宇井 純)
- 水循環再構築をうたいながら、巨大下水処理場建設を支持〜三番瀬円卓会議(県自然保護連合事務局、2003/12)
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