★講演会「宇井純と語ろう−流域下水道と市川三番瀬」


■講 演

流域下水道と三番瀬

〜 公共事業を問い直す 〜

沖縄大学教授 宇 井 純



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 1998年7月25日、千葉の干潟を守る会、市川緑の市民フォーラム、千葉県自然保護連合など6団体は、共同主催で講演会「宇井純と語ろう−流域下水道と市川三番瀬」を市川市文化会館で開きました。
 以下は、宇井純・沖縄大学教授による講演内容です。


 

講演内容



●30年前と同じことが繰り返されている

 ご紹介いただいた宇井です。
 きょう、ここへ来る前に、杉並区の井草で起っている杉並病の話を聞きました。杉並病は、一般廃棄物をまとめて圧縮する作業場から起きているもので、かなり深刻な、いろんな複合的な大気汚染です。この話を聞いて、30年前に日本の公害問題で悪戦苦闘していた時と全く同じようなことが起こっているんだなと思ってぞっとしました。
 つまり、初めはわけがわからない被害として公害が見つかる。原因がなかなか分からないのだが、だんだん調べていくと、どうもここらしいということが分かってくる。しかし、原因を突き止めたらそれで問題が解決するかというと、決してそうはならない。必ず出した側から反論が出てきて、「俺は知らない」となる。そのうちに第三者の偉い学者が出てきて反論をいろいろ並べると、いつのまにか本当の原因と反論が打ち消しあって、あれはなんだったのかよくわからんという話になる。そういう公害の起承転結があるようだということを水俣病で気づき、講座「公害原論」で話しました。  そうしたことが、30年経った今日でも同じように繰り返されている。発生源は東京都という大きな行政組織であるため、地域の住民、個人の集合としては、どういうふうに攻めていいか非常に苦労していることを伺いました。
 私が30年前に言ったことが今も当てはまるということは、あまり進歩していないのではないかという気がします。しかし一方では、変わった面もあります。
 たとえば流域下水道です。これはおかしいと気づかれだしたのは30年前です。その頃は、地域住民による地域エゴの運動と言われました。しかし、30年経ってみると、流域下水道は税金の金食い虫だ、やってはいかんのだと言われるようになっています。
 それから、ゴミの問題です。杉並でいわれているのは、一般廃棄物の不燃ゴミの問題です。一般廃棄物の量は、日本全体では約5000万トンです。このうち、不燃ゴミは2000万トンです。残りの3000万トンくらいは燃やしているので、ダイオキシンの問題でゆきづまっています。一方、産業廃棄物は、全体で5億トン近くあります。つまり、一般廃棄物の10倍近いものがあるのです。
 たまたまNHKの番組を見ていたら、産業廃棄物の捨て場をめぐって、厚生省、都道府県、市町村、住民との間に緊張関係のあることが報じられていました。いたるところで生じている問題です。振り返ってみますと、産業廃棄物の捨て場をたいへんな問題としてNHKがとりあげたのは、1980年のアメリカのラブカナルの公害です。そこでいろんな事件があって報道されました。その直後に、埼玉県の寄居町で埼玉県内全域の産業廃棄物を埋め立てる計画が発表され、地元の住民たちの反対運動に私も呼ばれていったのを覚えています。NHKが「アメリカの事件です」といって報道したのは1980年ですが、1998年になって、今度は日本全体の問題だといってとりあげるようになったわけです。その間に20年近い時間が経っています。NHKの番組の影響力というのは非常に大きいものがあります。アメリカのラブカナルを報道したことが、全国の産業廃棄物の反対運動に火をつけることになったのだと思います。
 そのNHKが杉並病のことをとりあげないという訴えを聞きました。NHKがとりあげるようになったらこの問題は終わりで、国の負け、東京都の敗北と思っていたのですが、時間の経過はどうやら我々に有利に動いているように思います。


●公共投資をめぐる腐敗の構図

 ちょうどこの講演を引き受けた頃に、建設大臣の諮問機関が一つの報告書を発表しました。そこには、「これからは、下水道が普及すると水が足りなくなるからダムが必要である」と書いてありました。私たち「21世紀環境委員会」に集まったメンバーは、これを聞いて危機感を持ちました。
 21世紀環境委員会をつくった経過について話しますと、アウトドアライターの天野礼子さんが日本の川をテーマにして1年間歩きました。川を対象にした公共工事が多く、その自然破壊がものすごい、こんなことで我々は21世紀に日本の国土を引き継ぐことができるのだろうか、という天野さんの危機意識に私たちも賛同して取材に協力しました。そして、私たち学者や評論家が協力して21世紀環境委員会をつくってよびかけたのです。建設大臣の報告書として出てきた「下水道が普及するからダムが必要」という論議はどうしてもつぶしておく必要があるということで、私が代表になりました。
 下水道対策は見直しが必要、下水道はそんなにメチャクチャに金を使ってつくる値打ちのあるものではない、いろいろ欠点があるのだから見直す必要がある、と書いて朝日新聞の論壇に出しました。そうしたら、建設省から批判がでました。建設省が朝日新聞社に文句を言って、同じスペースで同じ反論の場所をよこせと言って、反論が載ったのです。論壇の担当者からは、「建設省がこう言ってますが」と言ってきたので、「かまいません」と返事をしました。読んでみたら、反論を書いた建設省の下水道部長は私の教え子です。読んでみて、内容的にこちらが痛いと思うようなことは一つもありません。逃げ口上をとりあえず並べたに過ぎません。
 しかし、こういうのを読んでみると、東京大学で21年間、学生実験指導助手として学生を指導してきたのがどれほど役にたったのかな、と考えることがあります。21年間というのは、私が給料をもらってした唯一の仕事で、それはそれなりに一生懸命やってきたつもりです。そこでの結論が、さきほど司会者から紹介のあった「日本の水を考える」というNHKの教育番組で形を成したものです。
 しかし、いま振り返ってみると、私は人事とか権力というものに一種の拒絶反応がありました。一生、学生実験担当助手でいい。そのかわり、水俣病の研究などを自分の余暇にやるのを許してくれれば、と。だが、こういう教え子が、日本のあちこちで、官僚として金を動かす立場にいるのをみると、やはり学生担当だけでは足りなかったのだな、と思います。「俺の教えたとおりに答案を書かなかったら単位をやらないぞ!」と、権力の立場をとってでも本当に正しいことは何かということをたたきこんでおくべきでなかったか、と思います。“武士は食わねど高楊枝”とか“痩せ我慢”という言葉がありますが、東大にいるときに、権力に貪欲になって教授のポストを要求し、こういう学生をたたき直しておくべきだったかと考えることがあります。しかし、権力というのは両刃の剣で、おそらく教授になっていたら、私まで権力に取り込まれて堕落していたのでないか。−−そう考えると、そこは難しいものがあります。結局、こんなところがよかったのかな、というのが今の結論です。しかし、こうした構図自体に問題の深刻さがあるのです。
 下水道は、非常に大きな公共投資です。7年間に23兆円もの金が動きます。「この大きな公共投資の中身がおかしいよ」ということを、すでに引退した老人である私が指摘をしているのに、若い教え子が「いや大丈夫、心配いりませんよ」と言っています。この構図自体に極端な腐敗があるのでないかと思っています。
 世の中は、若い人間が「これはいかん」と思い切って批判するのに対して、年寄りが「まあまあ心配すんな」というのが普通です。ところが、年寄りが「これはいかん」と言っているのに、若い連中が「先生心配いりません。大丈夫おまかせください」と言うのは、いかに腐敗が激しいものであるかということです。
 朝日新聞の論壇では、再反論はできません。できれば適当な場所を探し、「朝まで生TV」のようにやれればよいのですが……。マスコミはこういう問題を積極的にとりあげるべきではないか。そういう点では、日本のテレビは肝心なことやっていないし、マスコミはさわっていないのです。


●下水道技術は完成されたものではない

 下水道技術というのは完成されたものではありません。必要にせまられて、その場その場でつなぎあわせてきたものです。中世のように、下水道がまるで無かった時代もあります。日本もつい最近まではありませんでした。日本や東洋では、人間の糞尿をほとんどそのまま田畑に還元してきました。肥料としての需要があったために、雨水の排除だけがあればよかったのです。
 ヨーロッパでは18世紀まで下水道がありませんでした。人間の排泄物について考慮がなかったのです。だから、一般にはおわいをおまるでとって、窓から投げるというのが普通でした。街を歩いていると上から降ってくる。で、投げる前に、「水にご注意、水だよ!」と声をかけるのがエチケットでした。その言葉を聞くと、パッとよける。そんなわけで、ヨーロッパの街はおわいの山でした。雨が降ると、その汚水が一階に容赦なく流れ込む。これではたまらんというので、18世紀に下水道がつくられました。
 18〜19世紀につくられたものは、街のなかの汚れを外に掃き出すことが目的でした。ですから、処理場は持ちませんでした。大きな都市では、外に出したのではにっちもさっちもいきません。ロンドンでは、テームズ川に流したものが国会議事堂の前に流れてきて、悪臭で審議ができませんでした。それで、石灰をぶっかけたむしろを窓につるして、かろうじて悪臭を防いだという記録があります。そんな中で下水道の建設を議論していたので、当然、身につまされていました。下水は捨てる前にある程度処理をしないと周辺に迷惑をかける、と。
 それで、19世紀から20世紀にかけていろんな処理の試みがされました。簡単なものは、沈殿させ上澄みを流すというものです。これで汚れが半分くらいとれました。ロンドンやパリの大都市に下水処理場がつくられたのが、今世紀の頭です。当時は、たいへん不潔な環境が都市には存在していました。ロンドン、パリという大都市でも、当時の人口は20〜30万人です。ちなみに、江戸は100万人を超えていて、世界最大の都市でした。ヨーロッパでは、最大で20〜30万、地方の中小都市は1〜2万程度です。
 中世には、王様がどこかに宮廷を造って臣下を養うというほどには物が集まりませんでした。ですから、王様は直属の臣下を連れて金持ちの臣下の都市を次々と連れ歩いて喰いつぶしていました。したがって、都市が決まりませんでした。“ゴクツブシが渡り歩く”という状況だったのです。100 年戦争の頃、ジャンヌダルクはオルレアンで見つかりました。当時の皇太子はオルレアンの郊外に陣をとっていました。それは、当時は決まった街に住めないほど都市の規模が小さく、さらに衛生条件で制約があったからです。


●自然にある微生物の力を借りて下水処理

 江戸の人口が100万人を超えていたのは、17〜18世紀では世界的な記録です。それは、汲み取った下肥を全部肥料として田畑に還元していたシステムに秘密がありました。
 当時、長屋の便所は、共同で後ろのほうにありました。それで便所のことを後架というのです。後架の中のものは大家のものです。「長屋の花見」という落語に、店子連中が家賃をどれだけためたかを自慢する話があります。あれだけ溜めていてよく追い出されないものと思っていたら、当時、最初の頃は百姓が野菜を持ってきて大家に渡していたのが、だんだん大家が欲張りになって金を要求するようになります。それで、下肥の値段があがって家賃の収入と同じくらいになります。ですから、家賃が入らなくても、大家にすれば下肥の生産者を飼っているようなものです。それで、半分くらいは元が取れる。欲張りの大家は百姓が桶で汲みにくるときに水を入れる。百姓も、水増しされたものを買ったのでは損をする。だから、品質を確かめるために味を見る。薄められていれば塩味が薄まるので分かる。\]そういう時代があったのです。二宮金次郎も、あえて味を見ることを怖がらなかったことから、百姓の典型として話が残っています。
 ところが明治になると、伝染病が入ってきました。コレラ、赤痢などで人がどんどん死ぬということが起きました。ヨーロッパでも、19世紀に入って伝染病が蔓延してきたので、これが下水道を普及させる一つの圧力になりました。東京も、ヨーロッパを真似て下水道をつくろうとしましたが、金がかかるので先に進みませんでした。
 19世紀は,排除の技術としての下水道が発達しました。排除した結果、周辺の都市がお互いに汚しあって干渉しますから、そこで何とかしようということになって、沈殿法が採用されました。しかし、これでは半分しか取れない。もう少し浄化しようということで、電気分解とか化学薬品を入れるとか、今日からみるとどうしてあんな変わったことやったかと思うほどですが、いろいろな試みがされています。
 結局、最後にたどり着いたのが、自然にある微生物の力を借りるしかないということです。初めは砂地に潅漑(かんがい)します。目づまりをするので、荒い砂利にかけてみるとか、だいたい1930 年頃には拳(こぶし)くらいの散水機を山積みにして、そこから下水をかけるとかなりきれいになり、散水炉床が定着します。東京都も、1930年代に三河島に大きな設備をひとつ造っています。


●第一の失敗は、下水道に工場排水を入れたこと

 1930年代にドイツとアメリカで同時に進行した研究として、石の表面についているもやもやした泥みたいなものが浄化の主役だから、石を取ってしまって、泥を下水に混ぜてやったら浄化するということが見つかります。すなわち、現在、日本で主流になっている活性汚泥です。これが、技術として普及します。
 特に、ドイツの研究結果が第二次大戦の後でソ連から中国まで普及するのと、アメリカを経由して日本までやってくるのとがちょうど1950年代前後で、微生物で処理する方式、すなわち活性汚泥が世界中で主流になります。こうして、20世紀は処理の施設としての下水道が普及します。この時期に、私も下水道の研究に入りました。
 当初、不思議に思ったのは、東京都で下水道が建設されていた1960年代に、北区あたりの工場排水をまとめて下水道に入れて処理するという、そういう計画が進められていました。このことに不思議を感じていました。というのは、水俣病などで工場排水の毒性にぶつかってみますと、微生物が主役になって処理をしている下水道に工場排水を入れたらうまく動かないのでは、と考えたからです。もちろん、工場排水の中にある毒性を持った物質も、微生物では処理できません。微生物のほうが中毒してしまって、うまく働かないからです。
 そこで、「工場排水をいれたら百害あって一利ないのでないか」という疑問を提出しました。そうしたら、先輩や同僚から、「ヨーロッパでもアメリカでもこうやっている。だから日本でもこうやる。お前、新入りのくせに変なこと言うな」と言われ、意見があいませんでした。
 しかし、どう考えても、毒物である工場排水を下水道に入れるのはおかしい。ずっと気になって考えていましたが、十数年前になって、なんだこんなことかと気づきました。非常に簡単なことですが、歴史的に19世紀は排除の施設だったから、町の中の汚いものは全部外に出す。したがって、人間の排泄物だろうと工場排水だろうと一緒くたに外に出すのは当然だったのです。
 20世紀になって、処理場の設備が後から付いてきました。ですから、先に管があって、後からできた処理場は文句が言えない。入ってきたものは全部うけいれて処理をしなければならない。これは必然です。ですから、アメリカやヨーロッパの下水道に工場排水が入っていて、後から処理場がついているのは当たり前なのです。しかし、日本では処理場を先につくっていて、管路を伸ばしていきます。または、これから更地に下水道をつくるわけですから、入って困るものは入れないことが可能です。こういう種類の工場排水を入れては困ると言うことは、当然のことです。そういう管路と処理場の前後関係というものに私たちは気がつきませんでした。つまり、ヨーロッパやアメリカの欠点まで引き継いで日本に輸入してしまったのです。
 ですから、あの時もっと厳しく批判して政策を変えるところまでやっておけば、という悔いは残っています。私は当時は新入りだったので仕方がありませんでしたが、私の教え子が後に助教授、教授になるような時代になったのだから、あの連中にもっとこういうことをきちんとせよ、とたたき込むべきだったという悔いは残ります。
 こうして、ヨーロッパ、アメリカの失敗をそのまま輸入したのが、19世紀から20世紀にかけての日本の失敗の一つです。“その場しのぎ”でやってきた技術ですが、さて21世紀はこれで許されるかというと、おそらくそうでないというのが私の見通しです。
 つまり、21世紀になると水はもっと足りなくなります。そうすると、必ず下水の処理水が水資源として見直しされるというか、評価されるようになります。何といっても、下水の処理水というのは量が一定しています。毎日、一定量がかならず出てきます。これは、雨のようにいつ降るか分からない水資源に比べて、はるかに貴重な水です。もちろん、飲むのは無理でしょうが、それ以外の用途はいくらでもあります。
 ですから、下水処理場というのは、今までは迷惑施設として押しつけ合っていましたが、これからは水資源の出てくる場所として取り合いになるのでなかろうかという予見をたてています。
 そういう点からいっても、いちばん下流に持ってきて、海へ流してしまうだけの流域下水道処理場というのは、どうみても21世紀に見合うものではありません。つまり、20世紀中にあんな馬鹿なことしなければよかったと悔やまれる存在になると考えています。このような流域下水道の処理場は考え直す必要があるのです。


●第二の失敗は、“規模の利益の信仰”

 下水道整備の第一の失敗は、前述のように工場排水を入れてしまったこと、第二の失敗は、私たちが高度成長の時代に生まれ育ってきたので、「大きいことはいいことだ。大きくすれば必ずうまくゆく」という規模の利益がまるで常識であるかのように考えて、処理場をどんどん巨大化してしまったことにあると思います。
 これについても、現場で経験を積んだ技術者はそうは言ってませんでした。私たちが下水道にたずさわってまもなく言われたことですが、「太い下水管を埋めるとものすごく金がかかる。たとえば20年計画でつくるときに、最初から太い管を一本埋めるか、それとも細い管を一本埋めて途中から一本足すかということは、場所によって慎重に計画しなければならない」と年配の技術者から言われたのを覚えています。やたらに大きくすると、うんと金がかかるのです。実際に、関宿から市川まで下水管を埋めようというのですから、下に行けば行くほど下水管は太く深くなります。単位面積あたりにしても、単位人口あたりにしても、決して大きく計画をつくることは、コストを小さくすることにならないのです。
 つまり、規模の不利益が存在するのです。大きくすると単価が増大するという、規模の不利益があるということに、なぜ気がつかなかったか。我々技術者は、はじめは科学工場の感覚で処理場を考えていたので、大きくしたら得になるだろうと安直に考えていました。ところが、これも後から他人に言われて愕然としたのですが、埋立地に大きな施設をつくったら基礎の工事に金がかかるということです。地盤の軟らかい埋立地に何百万トンという水を集める容器を造る。容器自体が何百万トンという重さになる。そこへ水を入れるわけですから。ここでも、規模を大きくすると規模の不利益が出てくることが直観的に分かってきたのは、ここ20年くらいです。つまり、“規模の利益の信仰”というのが、我々がやった第二の失敗です。
 ある町会議員が、5、6年前、私のところへ流域下水道のことで相談しにきて、言った言葉があります。
 「流域下水道あるいは巨大な公共下水道というものが、税金を食って将来先々までマイナスになることは分かっている。しかし、政治家の仲間で下水道がどのように受け取られているかを申し上げると、下水道が強い政治の道具になっている。下水道を造れば、水洗便所をつなぐことができる。地価が上がるから地主の票が期待できる」
 もっともですね。工事そのものは地下に潜ってやります。見えないところで手抜きができるというので、業者が喜ぶ。そして、業者が手抜きをした一部がこっちへ回る。それで、「私ども政治家は、下水道計画を持ってくれば、20年、30年は“これは俺が取ってきた事業だ”といって票を集めることができる」と言うのです。
 私たちは、「流域下水道は20年も30年も巨額の金を無駄づかいするからよくない」と言っているのですが、一部の政治家にとってはこのことがプラスなんです。ですから、その政治家は「先生が批判された点はみんな正しい。しかし、その批判された点がまさに政治家にとっては飯の種になっている」と、そういう構図を話してくれました。なるほど、これでは当たり前のことが当たり前に通るはずがないと思ったものです。
 しかし、最近の参院選挙の結果をみますと、そういう状況にも変化の兆しがあります。今までのように、公共投資をばらまいて自分の票にするというやりかた、−−これは質の低い政治家が必ずやった手段です。アメリカでも、ポークバレル(pork barrel。議員が人気取りのため政府に支出させる土木事業などの地方開発補助金)という政策をさす言葉があるくらい、流行った政治的手法です。これが日本でも20世紀末に全国に行きわたった時期があるということを、後世の歴史家が指摘することになると思います。
 ともかく、下水道はその場しのぎの技術なのに、永久に通用するような政策手段にしてしまったのは失敗です。その責任は私たち学者も一端を担わなくてはならないだろうと思います。


●学問の腐敗

 建設省の下水道部長と論争をやって、そのあと困ったことだと思ったのは、こういう下水道事業が共通に抱えている矛盾に対して、たとえば東大教授が何を発言したかということです。
 東大には、下水道を専門にしている講座が3つあります。そこには、教授、助教授が6人いるはずです。その連中が学生に、「下水道というのは素晴らしい施設だ。ドンドンつくれ」と教えておいて、このような批判を受けても、大学が何を言ったか、あるいは学者が何を言ったかということを何も言いません。じっとひたすら頭を下げて,嵐が通り過ぎるのを待っているのです。これが東大の姿勢なのです。
 これは水俣病のときも全く同じでした。水俣病も、原因は水銀らしいということを熊本大学がつきとめかけた時、そこに立ちはだかったのは東大の医学部でした。これをもみ消すために会社から金をもらいました。そして成功しました。1960年以降は、水俣病は原因不明ということになってしまったのです。その結果、新潟の水俣病が発生しました。二つ目の水俣病のかなりの責任は東大の医学部にあります。
 そういう経験をみますと、皆さんの中にもかなりの部分残っている東大信仰が問題になります。日本では、東大が一番いい大学で、あわよくば自分の子どもも、というような信仰も、一部それを支えています。いま、学問がどれくらいあてにならないか、信用にならないかということは、下水道の論争に大学教授がまったく声をださないことに示されています。
 私は下水道が持ってしまった3つの失敗の経験を申し上げました。1つは歴史的な経過を学ばずに猿真似をしてしまったこと。第2は、これも経験に学ばずに、頭の中で大きいことはいいことだとして、巨大な下水道をつくってしまったこと。そして第3は、水をきれいにするという目的を忘れて、政治的な景気刺激の道具として、極めて党派的な利害の道具に使ってしまったことです。この3つの失敗に対して、現在のアカデミズム、大学の教授たちは一言も口をききません。ここにこそ、いま、日本の学問がどこまで腐敗したかという一つの表れがあります。


●下流に巨大な施設をつくるのは愚劣

 こういう失敗を承知したうえで、さて21世紀にはどういう環境技術として下水道を評価するか、そして処理した水をどのように利用するかという視点が問題になってきます。
 下流に巨大な施設をつくるのは愚劣です。むしろ、上流、中流に比較的小さいものをつくって繰り返し利用していくほうが賢い計画になるでしょうし、そのほうが金はかかりません。つまり、現在の流域下水道の幹線は1メートルで100万円くらいかかります。1キロなら10億円です。しかし,せいぜい1キロから2キロの幹線があれば、自然に即した中型の処理場はできます。
 上流でも中流でも、そのくらいの土地を探そうと思えばいくらでもあります。さらには、私はだんだん歳とともに無精になってきて、機械を使うのが嫌いになってきました。機械は使うと故障するので、使わずに済むものはどんどん省略するという考えです。すると、最後に池が一つ残ります。面積に応じて、小さな池なら機械を入れてやる。大きな池なら何も入れずに魚でも放してやる。そういう処理場で水は十分きれいになるということが実験で分かってきました。
 一方、日本の都市の周辺では、休耕田をあちこちにつくり、土地にわざわざ金をかけて遊ばせてあります。そうした田圃を自治体が借り上げて、そこへ下水を流し込んで処理することを4、5年やれば,土はかなり肥えます。4、 5年経ったら次の田圃を借りる。処理場を固定しないで次々にその地域の土を肥やすというやり方をとることも可能です。現在のポンプの技術ですと、下水を4、5キロ置くことは可能です。4、5キロ周辺に、そういう空いてる田圃を見つければ、一日1万トンくらいの下水は、1ヘクタールの田圃があれば十分収容できます。そこで魚を飼うこともできます。そういうやり方で上流中流をだんだん分けていきますと、江戸川左岸の最下流の第一処理場は必要がありません。三番瀬を埋立てて処理場をつくる必要はないのです。さきほどの高柳さんの話で、下水道の処理場が三番瀬埋立ての大きな柱になっていることが分かりました。やりようによっては、この柱そのものを外してしまうことができます。そういう軟らかい計画、つまり、「ここは、ちょっと変えよう」とか「中頃でちょっと変えよう」とかいう、そういうものをつくるのが技術者の腕の見せどころです。
 建設省の下水道技術官僚は、建設省に座り込んで、北海道から沖縄まで全国一律に、全く同じ設計図をばらまいたようなものをつくっています。これは猿でもできます。わざわざ東大出の技術者がやる仕事ではないのです。
 午前中、行徳の野鳥観察舎でつくった保護区を拝見してきました。そもそもは、観察舎の前を流れている丸浜川があまりにも汚くて臭いので、何とかならないかと相談を受けたのが初めです。
 私は栃木の滝沢ハムという小さな肉屋さんの排水処理場の相談を受けて、鰻の水車を入れた処理場を動かしていました。そこでは、かなり汚い水でも鰻の水車をいれて水をかき混ぜるときれいになる。蓮尾さんたちに現地を見ていただいて、これならいけそうだということで、最初の水車を入れたのが、私が沖縄へ行く直前でした。1986年です。それから13年経って、試行錯誤で、だんだん水車も増え、ついに広い新浜を一つの保護区として浄化した水を使って、きちんと維持できるところまできました。関係者の努力が実ったのです。将来、あれは一種のテーマパークとして金のとれる存在になるだろうという気がします。たまには千葉県もいいことやるもんだと。税金を使っていいことをやってくれたものだと思いますが、中身を伺うと,試行錯誤の連続で、県が据え付けたポンプはついに動かなかったとか、いろいろ苦労されたようです。
 しかし、あの場合は、生下水がかなり流れ込んでいます。利用の仕方によっては、自然の生態系を維持するのに十分な水を用意することができます。そうなると、下水も貴重な水資源になってきます。
 三番瀬という干潟が、自然の中で自然の汚濁物質を浄化して、それを生きものにかえ、鳥に代え、時には人間の食べ物に代えている。そこをコンクリートで埋め殺して何らかのお金にしようと考えているのです。これは、ずいぶん愚かなことです。「金ではできないものをつぶしてわずかな金にかえた」と後世から批判されることになろうと思います。ですから,江戸川流域を、もういっぺん上から下まで見直し、どうやって自然を利用して、その中で水を大切に繰り返し使っていくかという計画を練り直せば、おそらく一番下流の処理場も埋め立ても要らなくなるはずです。


●自然破壊が大規模に進む沖縄

 30年前と比べてみて、明らかに時間は私たちに有利になってきました。30年前は、国民も下水処理場はいいものだと信じ、大きくすればいいものだと信じていた時代です。ところが今は、流域下水道は不合理ということが、かなり広く知られるようになりました。行政も金がなくてあせっています。もちろん、期限内に金を使わないと、次の金がこないということがありますので、必至になって工事を進めようとするでしょうが、工事が1年延びれば1年情勢がこちらに有利になる時代がきたようです。
 そして、日本全体で成長路線というものに疑問を持ち、残された自然を大切にしなければならないと気がついてきた時期です。どのように干潟の現実を日本全体に知らせるかが課題です。
 昨年の諫早の閉め切り以来、干潟の問題に対する国民の関心も、年ごとに増えてきているようです。沖縄にいますと、とくにその感が強くします。沖縄は日本でいちばん大規模に干潟を埋め立てている県です。100ヘクタール単位の埋め立てが3つも4つも進行しています。そこでも流域下水道処理場が大きな部分を占めています。沖縄で「貴重な干潟を埋め立てるのはけしからん。計画を考え直せ」と言うと、県庁の答えはこうです。「いやー。本土であれだけやっているのに、我々がやって何で悪いのですか」と。
 面積にして日本の0.6%しかない小さな島に、1%の人が住んでいて、しかも普通の県の5割増から倍近い公共投資がされるのですから、山をはぎ、海を埋めるということで、沖縄の自然はずたずたに壊されています。そういうところからきてみると、千葉県は、「ここだけは東京湾の残された所だから残しておこう」という議論ができるだけ羨ましいと思います。沖縄だと,「まだまだ埋めるところはあるさ」という話になります。「なんで、那覇市が埋め立ててあれだけ土地を儲けたのに、同じ入江のこっち側、豊見城村の埋め立てにあんたがたは反対するんだ」と文句を言われます。そういう状況が沖縄にあるのです。時間を延ばせばこっち側に有利になるし、世論も向いてくるという千葉の皆さんの運動はちょっと羨ましいほどです。沖縄ではまだまだ「自然を大切にしよう」というのには時間がかかります。


●金食い虫の流域下水道

 時間とともに下水道の設備投資はどんどん値上がりしています。不思議なもので、工業製品の場合は,だいたい時とともに安くなります。たとえばワープロをみますと、年ごとに機能が倍になっているのに値段は半分なんてこともあります。ところが、下水道の場合は年々費用が上がっていくのです。
 それは無理もない面もあります。人口密集地帯はだいたい下水道が行き渡ってしまっていて、人口密度の小さいところへ管を長くつないで持って行かなくてはならないからです。建設省が発表している公共投資5か年計画を使って計算しても、すでに1人当たり130万円ほどの費用です。5人だったらその5倍です。100万円前後の合併浄化槽と比べて、すでに1人で130万円もの費用になっているのです。これは明らかに限度にきています。今から下水道の工事を始める市町村は、おそらく絶対に引き合いません。それくらいだったら、すでに香川県の寒川町や秋田県の二ツ井町でやられたように、全部合併浄化槽で地域内の水を処理してしまうほうが、自治体にとっても将来の負担が小さいと思います。ここでも、さきほど紹介した町会議員はいいことを言ってくれました。
 「下水道だから20〜30年選挙のたびに“俺の事業だ”といって票が集まる。合併浄化槽で全部やってしまったら、せいぜい4〜5年で、1回の選挙で片付いてしまう」
 なるほど、それもよくできたものだなと感心させられます。つまりこっちがマイナスだと思うことは,彼等にとってはすべてプラスになるのです。
 1人あたり130万円というのは全国平均ですから、いま工事をしている先端の地域ではもっと高いことになります。ほぼ200万円くらいになるのでないでしょうか。そうしますと、5人家族で1000万の設備投資をしなくてはなりません。そういう下水道というのは、果たしてこれからつくるに足る施設であるかどうかはかなり疑問です。


●行政が出したデータは疑え!

 下水道の普及率が50%というのは、やはり一つの節目になると思います。ちなみに、下水道の推進側が必ずもちだすデータがあります。それは、「アメリカの普及率は76%なのに対して,日本はその半分くらいでしかない。アメリカに追いつけ、追い越せというのが日本の文化生活のバロメーターです」ということです。その際、彼らが口にしない事実、それは、アメリカの下水道で処理場が付いているのは半分しかないというデータです。残りの半分は無処理で流しているのです。
 ヨーロッパでも、処理場が全部付いているわけでありません。半分ちょっとです。条件が許せば無処理で流したいが、それができないので、しぶしぶ最小限の処理をつけているのです。ですから、アメリカで処理場の付いている下水道は日本と同じくらいしかないというのを技術者として知らなければモグリですし、知っていて言っていれば,これはサギです。どっちにしろ推進側の言うことはウソです。
 公害問題を長年やってきて、日本の行政はあてにならない、行政の出してきたデータは絶対疑えという習慣がついてしまいました。
 下水道でも、行政はこっちが知らなければウソを言うということを痛感しています。さきほど司会者がNHKのテキストを紹介してくださいましたが、NHKライブラリーで「日本の水はよみがえるか」という名で出版されています。ちょっと書き足して1冊の単行本で出しました。その中に、札幌の豊平川で下水道を作ったら、豊平川の水質がよくなってサケが戻ってきたと言う感激物語を下水道関係者が発表し、裁判で証言した例をあげています。
 これは、札幌市が測ったデータの中から都合のいい点だけを選んでグラフにしたものです。都合の悪い点はどこを落としたかというのを原図とともに載せてありますので、ぜひ、こういう公表データの信憑性ということを検討する際に証拠として使ってください。札幌市のデータが正しいかどうか疑ってみればきりがないのですが、一応、生のデータはインチキではなかったという程度にバラついています。この水のデータのバラツキというのは、ひじょうに変動して、長いこと計っている間にこれはちょっと揃い過ぎているとか、これは適当にバラついているから本当だろうという勘があります。最初の札幌市のデータは勘で見て、これはどうやら本当らしい。その中で都合のいい所だけつないでつくったのが建設省のデータという実例があります。
 この実例を、これから建設省などと議論するときにぜひ使ってください。建設省がインチキなデータを出したということが裁判の証拠として残っていて、また、反対尋問で粉砕されたという記録が、名古屋裁判にあります。この本は多少役に立つかのではないかと思います。
 ひとまず区切りのいいこのへんで、話を終わりにさせていただきます。

(文責・「三番瀬保全資料集」編集部)






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