義民伝も活用した三番瀬運動

─ 佐倉宗吾の漁師版「船橋三番瀬物語 飯盛り大仏」─

三番瀬を守る連絡会 中山敏則


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 「三番瀬運動は音楽も演劇も写真も絵画もある」。これは三番瀬保全運動の特徴をあらわす言葉である。三番瀬保全団体は多彩な手段を駆使することによって埋め立て計画を白紙撤回させた。三番瀬を通る第二東京湾岸道路も29年間食い止めている。ここでは義民伝の活用を紹介させていただく。


多彩な運動を展開

 三番瀬保全運動の基本は「世論を動かし、世論を味方につける」である。そのため、あらゆる戦術を駆使している。署名集めや観察会、市民調査、街頭宣伝、デモ行進、集会、人間の鎖、行政交渉、コンサート、写真・絵画展、演劇などである。埋め立て計画の白紙撤回を求める署名は30万人分を集めた。行政交渉は2009年4月からこれまで92回におよぶ。

 演劇は『船橋三番瀬物語 飯盛(めしも)り大仏』である。「三番瀬を守る会」の副会長をしていた津賀俊六さん(故人)が、同名の本を東銀座出版社から出版した。船橋三番瀬に伝わる江戸時代の義民伝を創作民話にした物語だ。三番瀬を守るため権力(お上)に抵抗し、獄死した漁師惣代二人の生きざまを描いた。佐倉宗吾の漁師版である。

 この民話を八千代松陰高校の演劇部が劇にした。この演劇は千葉県高校演劇発表会の地区大会で優勝し、県大会に出場した。2008年11月である。彼らの演劇は見事だった。多くの観客に感動を与えた。劇が終わったあと、何人もの観客が会場から発言した。すべてが「とてもすてきだった」「涙がでた」「すごかった」「感動した」という称賛だった。

 ところが同演劇部は、3校に与えられる関東大会の出場権を得ることができなかった。なぜか。審査員の講評はこうだ。「リアル過ぎて生徒にどうか」。ようするに、豊饒(ほうじょう)の海を守るため、漁師たちが埋め立てに反対したり権力の横暴に抵抗したりするという話はリアル過ぎるということだ。そういう内容は高校演劇にふさわしくないということである。


大反響を呼んだ高校演劇

 八千代松陰高校の演劇部員たちは、この審査結果に愕然(がくぜん)とした。関東大会への出場を確信していたからだ。泣きだした部員もいる。そこで三番瀬保全団体などが実行委員会を結成し、『船橋三番瀬物語 飯盛り大仏』を船橋市宮本公民館の三百人劇場で上演してもらった。2009年3月である。

 実行委員会の委員長は船橋漁師の滝口利貞さん(坂才丸)。事務局長は私がつとめた。ポスターを船橋市内のあちこちに張った。チラシも配った。新聞各紙も大きく報じてくれた。市民や船橋市漁業協同組合などから多額のカンパをいただいた。参加者は収容人員の300人をはるかに超えた。大盛況だった。

 公演は大好評である。観客はみんな、高校生たちの迫真の演技に魅了され、感激した。涙、涙、涙だった。三番瀬は埋め立てや第二湾岸道路建設の危機がつづいている。観客は、そうした現実と重ねあわせ、感動し、泣いた。終了後は感動と絶賛の大きな拍手がおくられた。

 地元船橋の情報サイト『My Funa』はこう報じた。
    「江戸時代に三番瀬の漁場を守ろうとして権力(お上)に抵抗し、捕らえられて獄死した二人の漁民を描いた『船橋三番瀬物語 飯盛り大仏』を八千代松陰高等学校演劇部が上演。牢死して三番瀬を守った漁師の叫び、そして今日の埋め立て問題へのメッセージなどが盛り込まれた迫力のある演技に場内は割れんばかりの拍手を送った」


これぞ文学の力、芸術の力

 アンケートでは138人の方に感想を記入していただいた。そのほとんどが劇を絶賛するものだ。一部を紹介させていただく。
    「こんなにも心にくる劇をみさせていただくとは思わなかったです。感動しました。みなさんがセリフを自分のものにしているという感じで、とてもリアルに感じました。ずーっと泣き通しでした。こんなに劇で泣いたのはひさしぶりです。ありがとう! 来てよかったです」(38歳、女性)

    「昔も今と同じように三番瀬を守ってくれた人たちがいたことに感激! 高校生の芸とも思えないほどすばらしいものでした。晴れ晴れとした気持ちで帰途につきます」(未記入)

    「高校生の部活とは思えないほどの熱演に、思わず胸がしめつけられました。こんな昔から三番瀬の問題があったことを知ってびっくりしました。守りつづけましょう」(65歳)

    「三番瀬を守りつづけなければいけないと思いました。生徒さんたちの演技は上手で、びっくりです。感激しました」(77歳、女性)

    「同年代の人があそこまで役になりきれることに感心しました」(17歳、男性)

    「勇気をいただきました。鑑賞できてうれしかったです。すばらしい内容でした。よくぞここまで演じられたか──。感動でした。作者の心意気、そして命をかけて三番瀬を守った先人たち。ずっとつづけてこれからの人たちにも伝えてください」(70歳、女性)

    「とにかく一言、感動いたしました。命をはって海を死守する漁民の姿、演劇部の皆様の迫力ある演技力、間のとり方、腹の底から出る若々しい声。とくに婆ちゃん役の生徒さんの立ち居振る舞いは圧巻でした。素人とは思えない出来でした。いつまでも心に残る宝となりました」(70歳、女性)

    「この演劇で三番瀬のことを知りました。ずっと地元にいますが、こんな話があったとは知らなかったです。昔の人たちの苦労やギセイがあって今の私たちがいることを忘れずに生きていこうと思いました。ありがとう」(25歳、女性)
 『船橋三番瀬物語 飯盛り大仏』の創作民話と演劇は、三番瀬保全運動を鼓舞した。保全の世論を高めるのに貢献した。これぞ文学の力、芸術の力である。
 地元の船橋市も、第二湾岸道路を三番瀬に通すことに反対するようになった。松戸徹市長は「三番瀬を最優先にする」との方針を船橋市議会で表明しつづけている。

 飯盛り大仏は船橋市本町3丁目の不動院にある。大仏は、1746(延享3)年の津波によって溺死した漁師や、漁場争いで入牢し死亡した漁民を供養するために建立された。大仏のそばには漁師惣代二人の供養碑が建てられている。飯盛り大仏の追善供養は、市の無形民俗文化財に指定されている。1825(文政8)年以来、約200年も供養がつづいている。毎年2月28日である。
(2022年3月)




津賀俊六さんが著した創作民話『船橋三番瀬物語 飯盛り大仏』(東銀座出版社)



演劇ファンも大勢来場し、300人収容の劇場は超満員となった
=2009年3月29日、船橋市宮本公民館の三百人劇場



連日の拷問に屈せず三番瀬埋め立てを拒否する漁師惣代。迫真の演技だった




三番瀬を守るため、惣代は何も食べずに牢死した。漁師たちは、
惣代の意志を受け継いで三番瀬を守りぬくことを飯盛り大仏の前で
誓いあった。このラストシーンに観客全員が涙した



花束贈呈後のあいさつ




出演した演劇部員




公演のポスター。船橋市内のあちこちに張った



公演のチラシ







演劇部員の慰労会=2009年4月



飯盛り大仏の追善供養で大仏に線香をあげる参列者。
この供養は1825年から約200年続いている。毎年2月28日である
=2022年2月28日、船橋市本町3丁目の不動院で



供養では、大仏に白米の飯を盛り上げるようにつける。獄死した漁師惣代が
牢内で食が乏しかったのをなぐさめるためとされている=同上



飯盛り大仏を参拝した法政大学の学生。法大生は三番瀬市民調査に参加している=2016年1月



飯盛り大仏の追善供養で大仏に線香をあげる都賀俊六さん(故人)。
津賀さんは創作民話『船橋三番瀬物語 飯盛り大仏』の作者



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