ついに三番瀬埋め立て計画中止

そして今、新しい時代がはじまる


千葉の干潟を守る会  大浜 清



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●臨海開発に終止符

 堂本千葉県知事は、(2001年)9月26日定例県議会開会日の挨拶の中で、三番瀬問題についておおよそ次のように述べました。
 「私は6月議会で、三番瀬計画はいったん白紙に戻し、干潟の保全と自然の再生をめざす新たな計画を、県民参加のもとにつくりあげる、と約束した。その後、各方面からの要望、県民シンポなどによって地域住民の意見を聞いた。それらの意見をまとめると、『三番瀬は東京湾に残された貴重な自然であり、その干潟を守り、自然を再生すべきである』というものである。これをふまえ、これから具体的な計画の策定に入ってゆく。そのため、101ヘクタールの埋め立ては行わないことを再度明確にする」
 3月の知事選挙で「三番瀬埋め立て計画の白紙撤回」を掲げながら、当選後の彼女は、「白紙撤回とは101ヘクタール計画を撤回するということで、埋め立て中止とイコールではない」と述べました。その真意をはかりかねたのは私たちだけではありませんでした。
 今回の発言では「埋め立ては行わないことを明確にする」というくだりに重点がおかれ、三番瀬101ヘクタール埋め立て計画中止を正式に表明したものと受け止められます。
 これに関する自民党議員の代表質問に対しては「県民の意思です」と答えています。
 その「県民の意思」の中に、いただいた30万人の署名や私たちの要望、提言、国際湿地シンポジウムに象徴される全国からの支援と地球的な声となっているラムサール条約の精神が重い位置を占めるのはいうまでもないでしょう。
 三番瀬埋め立て計画の中止は、単に101ヘクタールの土地造成中止にとどまらず、港湾・高速道路・流域下水道・まちづくりを含むもろもろの巨大公共事業に根本的転換を迫るものです。それは、1993年基本計画として提出された市川2期地区・京葉港2期地区計画の撤廃を告げるだけでなく、1957年以来千葉県をかり立てて来た臨海開発政策が、「干潟を守れ」の声、この30年の運動によって、ついに終止符を打たれたことを意味しています。


●二つの課題

 今、私たちの前に二つの課題が置かれています。
 一つは、ここまで海を破壊してきた公共事業に対する反省、すなわち埋め立ての論理をきちんと新ち切り、清算することです。実は、塩海開発によって破壊されたのは海の環境だけではありません。「埋め立て」という安易な土地政策にはまりこむことによって、国土の基盤づくりもまちづくりも、陸上の環境も経済・財政も巨大な落とし穴にはまりこんでしまったのです。第2湾岸道路、流域下水道計画、人間の生活を全く顧慮しなかった臨海部のまちづくり、こうしたものを根本的に考え直しつくり直していくことが必要です。
 もう一つは、これからの三番瀬をどう保全するか、破壊され傷つけられた海の環境をどう回復するかという問題です。これまで他のグループから、埋め立て計画に追従した形で、あるいは従前の埋め立てをやむをえないものと認めた上での提案がありました。
 これに対して私たちの主張は、まず埋め立てをやめること、保全にまさる修復はない、ということでした。今ある海を大切にするという心がけは、環境の多様性を守り、生物の多様性を守ることにもつながります。保全が確定された次の段階として私たちは次のことを主張してきました。
 第一に、埋め立てによる破壊の跡を修復することです。埋め立て地造成のために掘ってしまった土砂採取用の穴は青潮発生線として東京湾のあらゆる生きものを危機におとしいれています。永久的な埋め立て後遺症です。まずこれを埋めもどし、修復しなければなりません。それは潮の流れをよくする大事な方策です。長期の時間を必要としますが、三番瀬に近い所を早速手をつけるべきです。なお、航路もこれに準ずる破壊です。短期的には航路拡張を行わないこと、長期的には埋めもどす方向を考えることです。
 第二に最大の破壊跡は埋め立て地それ自身です。これを可能な限り干潟や塩性湿地・内陸湿地にもどしていくこと。これは、狭くしてしまった海をもとの方向に広げもどすこと、というふうに考えることができます。また、干潟は海と陸の重なりあう場所でした。埋め立てはそれを海と陸とに画然と区切ってしまいました。
 干潟やそれにつながる塩性湿地・内陸湿地への修復は、水系としてのつながりを含めた原風景への復原の一歩といえます。直立護岸解消だけの問題ではありません。この方向での貴重な提案として、行徳野鳥観察舎友の会による「市川海と海辺のまちづくり」案があります。今後、さらにこれを発展させた案を考えたいと思います。
 埋め立て地を干潟・湿地へ、という要求はとても無理に見えるかも知れません。しかし、そもそも「埋め立て計画の撤回」それ自体無理な相談と思っていた人は多かったのです。私たちはあくまで「市民」の素朴な願いを守ろうとしました。大切なのは「道理」です。


●「漁民と市民の連帯で東京湾を守ろう」

 埋め立てが必要と思われていた時、「漁業」はリストラの対象でしかありませんでした。埋め立てなくなる、とはっきり見えてきた今、漁業再建は大事な課題です。「いつまでもおいしいノリが食べたい」「子どもたちに潮干狩りのできる海を残したい」「江戸前の魚を守りたい」というのは、署名してくださる大きな動機でもありました。
 船橋漁協の滝口博さんという方は、堂本発言に次のような感想を述べました。
 「干潟は後世に残すのが当然。干潟は漁師のものでも、行政のものでもない。現状のまま残すのが行政の役割。一時は『開発』『開発』の掛け声が高かったが、今、そのツケが、そのしわよせが海にきているのではないか」(『千葉日報』2001年9月27日)
 私は胸の熱くなるのを覚えます。埋め立てに対抗して私たちは「海はみんなのもの」と主張してきました。今、溝口さんの言葉になぞらえていえば、「干潟は市民のものでもない」とつけ加えられます。
 1976年、第2回全国干潟シンポジウム千葉における戦略行動宣言として、「漁民と市民の連帯で東京湾を守ろう」と私たちは唱導しました。一部に強い反対や離反もあり、一筋道ではありませんでしたが、今、その時が来ようとしています。
 堂本さんは「里海の再生」と唱えていますが、意味の不明確なまま「再生事業」に走ってしまうのではなく、長期の目標は何か、今すべきことは何か、キチンとした議論が必要です。その議論を成り立たせるのに、市民と漁民の気持ちが通じ合うことを願っています。

(2001年10月)  




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