巨大ダム事業などを簡単に承認する学者委員たち
鈴木良雄
(2007年)12月21日、国交省関東地方整備局の事業評価監視委員会が開かれました。対象事業は、八ッ場ダム、思川開発(南摩ダム)、霞ヶ浦導水、湯西川ダムです。
◇八ッ場ダム事業をいとも簡単に承認 |
委員会を傍聴したSさんによれば、委員会はすべての事業をいとも簡単に承認したとのことです。
Sさんはこう怒っています。
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「約2時間の委員会ですが、半分以上は事務局からの説明、あとはほとんど費用便益についての質疑でおしまいでした。12人の委員のうち10人が出席していましたが、関心ごとはほとんど費用便益の計算の些細(ささい)なことだけで、事業の必要性、問題点についての質疑は皆無でした」
「費用便益の評価とは、八ッ場ダムならば、利水以外では〔八ッ場ダムの洪水調節で氾濫被害額が減る便益〕+〔吾妻渓谷の流量確保で景観が改善されることの便益〕を費用で割ると2.9になり、1を大きく超えているので、OKだということです。吾妻渓谷を台無しにしてしまうのに、流量確保で逆に景観がよくなって便益が生まれるというのですから、あっけにとられてしまいます。それも年間で750万人の観光客が来るという前提での計算です。便益の計算はでっち上げのインチキ計算なのですが、それが事業継続の是非を決める基本数字になるのですから、恐ろしいことです」
「委員たちは自分たちが果たすべき役割や責任について何の自覚のない人たちの集まりです。国交省の意向に逆らったことを言えば次回から声がかからなくなることぐらいしか考えていない人たちではないでしょうか」
◇行政に逆らえば声がかからなくなる |
委員にはI氏(東京大学大学院教授)も名を連ねています。三番瀬円卓会議で千葉県当局の意向を受けて暗躍し、猫実川河口域(三番瀬の市川側海域)の人工干潟化を執ように提案しつづけた、あのI氏です。
そんな委員たちについてS氏は「(行政の)意向に逆らったことを言えば次回から声がかからなくなることぐらいしか考えていない人たちではないでしょうか」と怒っています。まったくそのとおりです。
◇たてつくと研究費をもらえない 〜「無能」の烙印を押されることも〜 |
学者委員が行政のいいなりになる理由としては、そのほかにもう一つあります。それは、行政や大企業などにたてつくと委託研究費がもらえなくなることです。
この点は、中西準子氏(元東大助手、現〔独〕産業技術総合研究所化学物質リスク管理研究センター長)が、自著『都市の再生と下水道』(日本評論社)の中で次のように的確に指摘しています。
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《私が下水道の問題で住民と話し合っている時、たびたび「大学の先生は公正だと思っていたのに、なぜ行政側に都合のいい研究をするのだろうか?」という質問を受ける。確かに、どの流域下水道計画にも数人の大学教授が関係しており、計画の正当性を保証している。
住民運動で裁判を起こした人たちの共通の悩みは、自然科学、特に工学の分野で、住民側に立って立証する専門家がいないことだという。行政(しばしば被告)の側に立つ専門家は掃いて捨てるほどいるにもかかわらず。なぜだろうか?》
《ほとんどの研究者が行政や企業に循つくことができない理由は、研究費の出所を見ればすぐわかる。》
《科研費よりずっと大きいのが行政や企業からくる委託研究費である。国や地方自治体、企業が、あるテーマの研究を大学の先生に依頼し、その研究にかかる費用を大学の先生に支払うのが「委託研究費」であって、1件1億円を超えるのから、300万円くらいのまである。》
《大学の中では、委託研究を受けない者の方がしゅんとしてしまうような状況がある。委託研究をしている人のところは、大勢の人が忙がしげに立ち働き、新品のピカピカの機械が入っていて、何か明るく羽振りがいいからである。
しかし、この明るさや強気の論理のどこに陥し穴があるか、私がいちいち指摘する必要もないだろう。ただはっきりしていることは、企業や行政は、その事業目的遂行のために研究を依頼しているのであり、目的と反することのために金を出すはずがないということである。この当り前の原理は普通の人にはすぐ理解されるが、大学の教官のほとんどは、このことを決して認めない。》
《研究者にとって委託研究がなくなることは、まったくお金が入らなくなることだから、一度やりはじめたら委託研究のなくなる恐怖は日ごとに大きくなるという。
こういう研究者の実態を知れば、誰もが「なんてだらしがない、委託研究費などもらわずに頑張ればいいじゃないか」と思うかもしれない。
しかし、現実には委託研究を受けぬことは、「自分が研究者でなくなってしまう」覚悟と、「無能だ」という烙印を押される覚悟をすることである。やはり、研究者が弧立して闘っている以上、行政に楯つき、学界ボスに反抗して委託研究を受けなければ、ほとんど一銭の研究費も入ってこない。研究費のかからない研究をすることは一時期は可能でも、長い期間はとても無理である。私なども、人が考えつかない「考え方」を対置して独自の研究をするように心がけているが、それでも新しい機械が欲しいと考えてうなされるようになることもある。便利な機器を買って、学生たちに無駄な労働を強いなくてもすむようにしたいからである。
それでもなお、10年以上委託研究をしないのは、金である方向に引きずられていったたくさんの研究者の生きざまを目のあたりに見、そうなるよりは研究者として駄目な役立たずになろうと決心しているからである。》
《仕事ができなくなった時、「あの人は研究費がなくて」などといってくれる人は誰もなく、「あの人は能力がないから」と誰もいう。研究者の社会で、無能という烙印ほど辛いものはない。「有能だけど不遇だ」などといわれているうちはまだよいが、不遇がつづけば無能になる。その時、「無能だと思われたくない」と思ったら、委託研究を受けることになる。自己の有能を証明するには「研究実績」が必要であり、一定の研究費が必要になり、さらに有能を証明しようとすればもっとたくさんの研究費が必要になるから。
個人の生活は豊かでなくとも、いい研究をしたい、能力を試したいという、研究者として最低の要求をもつことだけで、委託研究費の陥穽(かんせい)におちいるように仕組まれているのが日本の大学である。社会科学より自然科学、自然科学より工学の方が、大型の施設と多額の研究費が必要なだけ研究費で研究の内容を統制できる。》
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東大助手時代の中西氏は、市民運動の中にとびこみ、流域下水道や巨大下水処理場の不経済性・水循環破壊を告発しつづけました。しかし今はちがうようです。
(2007年12月)
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