守ろう三番瀬 拡げよう署名の輪
千葉の干潟を守る会 代表 大浜 清
1996年3月、第6回ラムサール条約締約国会議がオーストラリアのブリスベーンで開かれました。その中で、三番瀬を守ることの意義がますます大きく浮かび上がってきました。
今の時代、署名運動は昔ほど打てば響くような反響はないように思われます。けれど潮干狩りの日、三番瀬の浜辺で1〜2時間ほどやってみた署名の反応はすばらしいものでした。この海に埋め立てが迫っていると知れば、だれしも皆、何万人もの子どもや家族が海に親しめるこの海岸を残したい、と心から願っているのでした。足りないのは私たちの態勢でした。そして、潮干狩り客の引き上げた干潟にシギたちが群れ下りて餌をあさる姿が印象的でした。
署名は一筆一筆、人の心がこもっています。しかし、その署名をことさら無視しようとする人たちや、署名といえばまず政治色を疑ってかかる人たちもいります。とはいえ、署名は私たち国民にとってやはり大切な意思表示の機会であり、武器です。また「あなたの御署名を」と言われた時はじめて大切な問題があることを知ったり、「三番瀬を守らなければ」という気持ちになったりする人たちもたくさんいます。その人たちにとっては、署名が第一歩です。運動はそこから始まります。
三番瀬署名は、はじめ三番瀬保全協議会の名で開始しましたが、その意味の討議は十分ではありませんでした。そこで署名の呼びかけを行っている団体が中心となって「三番瀬を守る署名ネットワーク」を結成しました。いわゆる自然保護団体ばかりでなく、三番瀬署名を積極的に拡げようと考えてくださる団体や個人はどなたでも加わっていただき、この運動を引き継ぎ、強化していこうととりくんでいます。協同しながら10万人署名を長期にわたって積み上げ、これを武器としてたたかっている名古屋の藤前干潟を守る会の運動は一つの見本です。
三番瀬埋め立て撤回をめざし、署名の輪を拡げましょう。ぜひ皆さんの力をお寄せ下さい。
(1996年5月)
★関連ページ
- 「干潟を守る」運動は何をめざしてきたか〜三番瀬の埋め立て計画中止とこれからの課題(大浜 清、2001/11)
- 埋め立て論理を断ち切り、陸側での湿地復原計画を〜堂本知事への手紙(大浜 清、2001/8)
- 新知事・堂本暁子さんに〜三番瀬を子どもに残すために(大浜 清、2001/4)
- 埋め立てをやめるとき、地球の未来像が開ける(大浜清、2000/5)
- 埋め立て計画は「縮小」ではなく「撤回」し、三番瀬を保全せよ!(大浜清、1999/12)
- 21世紀への展望をつぶすのか〜県企業庁は計画策定懇強行をやめよ(大浜清、1999/12)
- 今、三番瀬の運命が変わる 〜皆の力で「根本的見直し、白紙撤回、恒久保全」を!(大浜 清、1999/2)
- 人工干潟は保険にもならない 〜三番瀬問題での県の詭弁を批判する(大浜 清、1999/1)
- 埋め立てて漁業復活というナンセンス〜あえて言う、「新三番瀬」の夢と嘘(大浜 清、1996/1)
- 東京湾の干潟を守る運動26年(大浜清、1997/7)
このページの頭にもどります
「主張・報告」にもどります
トップページ | 概 要 | ニュース | 主張・報告 | 資 料 |
干潟を守る会 | 自然保護連合 | リンク集 |