●三番瀬再生計画素案に対する意見


  これが日本の正しい湿地再生のモデルと言えるかどうか

  私には自信が持てません

    〜小林聡史・釧路公立大学教授の意見〜




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 三番瀬再生計画素案のパブリックコメント(一般市民意見)募集に対し、たくさんの方から意見が寄せられました。
 そのうち、釧路公立大学教授の小林聡史さんの意見を紹介させていただきます。
 小林さんは、1991年から1996年末まで約6年間、スイスにあるラムサール条約事務局に勤務されており、ラムサール条約にたいへんくわしい方です。
 2001年9月にラムサール条約事務局のデルマール・ブラスコ事務局長が三番瀬を訪れた際もごいっしょされました。



意見書




「三番瀬再生計画素案」についての意見



釧路公立大学教授 小林聡史



 私は1991年から1996年末まで約6年間スイスにあるラムサール条約事務局に勤務していた者で、ラムサール条約国内履行の観点から今回意見を述べさせていただきたいと存じます。政府間条約の事務局に勤務していましたが、条約事務局ではあくまで科学的知見に基づいてのみ判断し、中立性を維持することが重要であるため、これを踏まえこれまで国内の湿地保全に関して個人的な意見を表明したことはありません。
 しかし今回「三番瀬再生計画素案(以下「素案」とさせていただきます)」に目を通し、意見を表明することが今後の三番瀬を考える上でも有益ではないかと考えました。
 尚、ラムサール条約事務局が国際自然保護連合(IUCN)内にあるため、堂本知事にはIUCNで何度かお目にかかり、また条約事務局長来日の際には共にお話を伺ったことがありますので、ラムサール条約や湿地保全の問題に関して私の意見を信頼していただけるのではと思います。


【1】

「素案」では、将来的な方向性について断言されてはいませんが、三番瀬の再生を進めた上でラムサール条約登録湿地に指定することを視野に入れていることは間違いないようです。しかし条約の解釈についていくつか疑問が生じました。

1-1.
 今年はラムサール条約第5回締約国会議が釧路で開催されてちょうど10周年にあたります。釧路会議の目的の一つが、前年に開催された地球サミット(リオデジャネイロ)に対応して、ラムサール条約が水鳥のみならず湿地生態系の要素全体に視野を向けたものであることを強調することでした。
 しかし、「素案」ではラムサール条約をほぼ水鳥条約としてしかとらえていない表現が中心で、関係者がこのような意識であるとしたら、果たして漁業関係者や他の利害関係者と十分な意思の疎通が図れたのか不安です。

1-2.
 条約についての説明として、「特に重要な湿地を登録するためには、水鳥の生息数などの湿地そのものに関する基準を満たしていることとその国の法律により保全が担保されていることの2つを満たす必要があります。」(「素案」142頁下)は明らかな間違いです。
 確かに日本ではそのように運用されていますが、日本以外では強力な連邦制の国々で法律の網が地方レベルのみの場合や、広大な土地を所有する人が(政府との交渉の上)湿地を守りたいと提案するような場合でも登録湿地指定は可能なわけです。したがって上記説明は、あたかも条約の説明のような部分でのこの表現は避けるか、日本国内の履行の仕方として説明されるべきです。(ついでにその上では条約の正式名称も間違っています。)

1-3.
 湿地の賢明な利用の定義の出典として畠山武道著『自然保護法講義』が用いられています(「素案」164頁)。畠山氏の著作は全体としては素晴らしいもので、私もゼミで参考にしたりするのですが、すべての分野でオールマイティとはさすがにいかず、ラムサール条約についての部分では、ボン条約の方が前にできたとの説明やIUCNとの関係で、明らかな間違いや誤解を生じさせる表現があります。ラムサール条約の説明には、環境省からもたくさんの資料が出されていますので、そちらを引用されることをお薦めします。
 しかし畠山氏の著作でも上記1-2で指摘したような、国内の対応の問題点を指摘しています。それにも関わらず、上記のような間違った説明がされているのは納得がいきません。

1-4.
 ラムサール条約で定義する『湿地』との整合性。登録湿地指定をも視野に入れるのであれば、当然ラムサール条約の湿地の定義を理解し用いてほしいと思います。条約では広く、干潟、藻場、浅海域や内陸の湿原等をすべて湿地としています。干潟をはじめとする湿地タイプの表現と、総合的な言葉である湿地とがあまり区別されずに頻出するので読み手には混乱を招くおそれがあります。また、場合によってはやむを得ないこともあるのでしょうが、「再生」「復元」「復原」「修復」といった言葉が説明なしに多用されるのは一般の人々にとっては混乱を招くものとなりかねません。


【2】

 ひょっとしたら最終版では「まえがき」で触れるのかも知れませんが、三番瀬の範囲(後から1800haの地域であることがわかります[44頁]が)が最初に説明されずに、内容が進んでしまいます。前半部分では「三番瀬」が意味するものが、厳密な意味での三番瀬なのか、あるいは大まかに三番瀬とその周辺地域を意味するのかがわかりにくいと思います。

2-1.
 再生の理念部分に関しては「現在残っている干潟・浅海域は保全するという原則の上にたって、」、「干潟的環境を成立させる用件をとりもどすことが必要です。」「行徳湿地から三番瀬にかけての連続性の回復」といった、おそらく利害関係者の間で意見の一致をみるには大変な努力が必要とされたのだろうと想像できるすばらしい表現があります。
 しかし理念を踏まえて続くはずの具体的なアクションプラン(第二章)との間が、いきなりワープしたような感じで、うまくつながっているとは思えません。
 おそらくそれは、現状説明部分が主として海域としての三番瀬の問題中心なのに対して、第二章でのイメージ図(101頁〜)が示すように、アクションプランとしてはどちらかというと内陸側の施工が目立つからではないでしょうか。

2-2.
 1990年にスウェーデンで開催された「湿地の管理と再生に関するワークショップ」でも、内陸の湿地再生に比べて沿岸域の湿地再生が難しいことが指摘されています。内陸の湿地である釧路湿原の再生事業も現在多くの問題を抱えています。自然再生という名の自然破壊にならないよう、最大限の注意が必要であることが度々指摘されています。
 三番瀬の現状に関しては、護岸によって海域と陸域が分断されている点が「素案」でも指摘されていますが、直線である護岸をそのままあるいは改造してその背後に公園のようなものを造成し、海域をラムサール条約登録湿地に指定しようというのは意図するところが理解できません。

2-3.
 砂を入れる干潟の再生、藻場の再生等、海域における湿地再生もそれぞれがうまくいけば、モザイク状の生態系再生として世界に誇れる(これまで例をみない)海域湿地再生事業となるでしょう。しかし、いずれかがうまくいかなかった場合、全体に影響を与えるし、すべて失敗する可能性もあります。
 埋立の代償措置として沖縄県の泡瀬干潟では、海草藻場の創出(移植)を実験的に行っていますがうまくいっていません。三番瀬の海草藻場においては、(藻場の消失について)「原因がはっきりわかっているわけではありませんが、」(87頁)とあり、また「かつての干潟においても特定の場所に密生するなど、環境の選択性があると推測され、」(60頁)ていることを指摘しています。
 沖縄県泡瀬地区を訪れた米国の海草専門家フォンセカ博士も、(選択性があるからこそ)現在海草がないところに海草を移植しても成功は難しいことを指摘しています。

2-4.
 湿地再生を評価するには、目標および指標の位置づけが重要です。目標の中で、具体的に再生させる基準となりうる年代が表記されているのは「漁業」に関する項目だけです。「1982〜1985年頃の漁業生産量の復活を目指します。」(80頁) また生物群集について湿地再生の指標として考えられるのは、「目標とする生物種としては、三番瀬から失われているハマグリ、アオギス、シラウオ、エビ類、アサクサノリなど」(65頁)とあります。
 これらから判断すると、実際の再生事業は:漁業生産の再生<(極端に人為の入った形での)陸域湿地の再生>沿岸湿地の再生といった優先順位、もしくはやり易さ(目標の設定しやすさ)が想定されているようです。理念としては全体として湿地生態系を再生し、その結果として将来的にも健全な漁業活動が営まれるように図ることが唱えられていたはずです。しかし産業活動の再生が優先されると、短期的に結果だけを求める傾向になったり、再生目的とは言いつつも長期的目標に悪影響を与える活動も容認されたりする危険性があります。


【3】

 「2002年の締約国会議において採択された『湿地復元の原則とガイドライン』に沿ったものでなくてはなりません。」(41頁)
 これは日本国内では遅れているので、大変喜ばしい表現です。しかし、もしこう言ってくれるならば、そもそも本「素案」自体がこの『ガイドライン』に沿った内容、あるいはどの部分でガイドラインを参考にしたとかの明記があってしかるべきではないでしょうか。残念ながら、『ガイドライン』が出てくるのは、この「意思の表明」部分だけのようです。
 また、さらに付け加えるのならば、ラムサール条約締約国会議で採択された『住民参加を促進するためのガイドライン』(正式には「湿地管理への地域社会および先住民の参加を確立し強化するためのガイドライン」決議Z.8付属文書)は何らかの形で参照されたのでしょうか。41頁の表現にならいキーワードだけを並べると、奨励策、信頼関係、柔軟性、情報交換および能力養成、継続性、などが重要な要素としてあげられます。継続性はともかく、他の要素については十分な検討が加えられたとは思えません。
 ちなみにこのガイドラインは、ラムサール条約に関わる湿地という狭い対象のみならず、世界各地で行われている様々な保護区管理や野生生物管理についても考慮した優れたものとなっています。このガイドライン作成に当たっては、IUCN、WWFインターナショナルといったラムサール条約の協力機関、そして地方レベルの活動を代表して日米から釧路国際ウェットランドセンターおよびカドー湖研究所の協働によるプロジェクトチームが担当しました。また、ガイドラインのエッセンスを抽出するために、世界各国から住民参加による湿地管理の例を収集し、アジアの例として本「素案」にもたびたび登場する「谷津干潟」の取組が採択されおります。

 41頁にはラムサール条約の「湿地復元の原則」としてキーワードが並べられています。最後の方には、モニタリングと順応的管理、普及啓発、があります。この普及啓発の原則についても、内容自体はラムサール条約締約国会議の上記決議Z.8による「住民参加ガイドライン」を応用するためのものとなっています。
 さて、順応的管理(adaptivemanagement)ですが、この考え方自体は新しいものではなく、順応的管理という言葉は使われていなくても、10年前の釧路会議で採択された「湿地の管理計画策定のためのガイドライン(通称『釧路ガイドライン』)」でもその考え方はすでに取り込まれていました。また、北海道東部のエゾシカ管理計画においても1998年策定時に順応的管理という概念が用いられています。
 順応的管理が順応的管理たり得るためには、(1)目標の明確化、(2)不確実性に言及し、管理のための対策について他の選択肢を提供すること、(3)モニタリングの実施が不可欠です。「素案」では 一応これらは対応しているかに見えますが、干潟の再生に対してどのようなオプションが提供され、どのような経過で選択がされたのかが明らかにされていないようです。


【4】

 一昨年、米国同時多発テロ発生の直前になりますが、マレーシアにおける『第2回アジア湿地シンポジウム』(1回目は日本で開催されています)に参加後、忙しいスケジュールの合間を縫って、前ラムサール条約事務局長ブラスコ氏が三番瀬を訪問しました。
 その際に、東京のような大都市近郊にあるにもかかわらずラムサール条約指定に足る価値を持った干潟が残されていることに感銘を受けていましたが、同時にかなり人為影響が著しくまた利用も集中していることに懸念も持ったようです。

長靴を履いて一緒に三番瀬を歩きながら、彼が「もちろん条約登録には賛成だが、さらなる人為的干渉には慎重にならないといけないだろうなあ」と、言っていたのをよく覚えております。
 彼が借りた長靴には穴が開いていて、事務局長の靴下は片方水浸しになってしまったのですが、笑いながら「湿地を守ろうと思ったら、足が濡れることは覚悟の上」と言っていました。彼の三番瀬訪問はその後、地元の女性が英語の報告をラムサール事務局に送り、数々の写真と共に条約事務局の公式HPに掲載されました。写真の中には地元の漁師の方々と事務局長との記念撮影もあります。漁師の方々は、漁業が規制を受けることを恐れてラムサール登録には反対だと事務局長に伝えに来たそうです。もちろん、事務局長はラムサール条約のワイズユースの概念を説明し、北海道の登録湿地(厚岸湖・別寒辺牛湿原)では登録湿地の中で漁業も行われており、地元の中心産業になっていることを説明してくれました。

 「素案」作成に関わった人たちの三番瀬に対する現状認識は「単調な生態系」(30頁)という言葉に集約されるのでしょうか。しかしながら、まだ鳥だけはたくさん訪れているのでラムサール条約には登録できる……というものなのでしょうか。これではあまりにラムサール条約の精神をゆがめて、都合のいいように解釈しているとか思えません。日本国内やアジア地域での条約促進を担当した者としては悲しい状況です。

 もし、現状でも東京湾に奇跡的に残された最後の大規模な干潟・浅海域としての価値を認め、ラムサール登録を推し進めたいのであれば、内陸の湿地再生など最小限の人為干渉にとどめ、全体への影響をモニタリングしていってさらなる対応を考えるべきでしょう。そうやってこそ順応的管理です。

 「かつての三番瀬は……(中略) ……豊かな海でした。これを支えていたのが、内陸の河川と湿地であり、……」(38頁)とあるように、海域である三番瀬の自然の力を最大限活かしてこそ条約登録の意義があります。
 尚、条約では登録湿地の変化や劣化に対しては、「生態学的特徴」の変化と定義し、基準点を登録湿地として指定した年におきます。もし、三番瀬を登録しつつ、再生事業を進めるとすれば、最初から指定年より昔の「生態学的特徴」を基準にするという、条約誕生以来初の離れ業に着手することになります。しかし、逆に言えば(環境省には締約国会議等での説明責任が生じるでしょうが)千葉県民、そして日本の湿地への取組の真価が問われる記念すべき登録湿地が誕生することにもなります。

 ですから、「全国の干潟・浅海域・藻場の保全・再生に大きな影響を与えることでしょう」(45頁)とありますが、まだこれも過小評価でしょう。成田空港に近いこともあり、谷津干潟とともに日本を訪れる人々が最初に目にするラムサール条約登録湿地になり得ます。日本の湿地再生の見学地としての位置づけを考えれば、国内のみならずアジア地域への影響もはかり知れません。102頁以降にある自然再生イメージ図のいずれの場所にも、海外からのお客様を大勢連れて行き三番瀬の方を見たとして、はたしてこれが日本の正しい湿地再生のモデルなのだと言えるかどうか。私には自信が持てません。
 「千葉県民は有史以来、干潟とともに暮らしてきました。」(1頁)とありますが、それが過去のものとなるか、自信を持ってそう言えるように再びなるか、三番瀬の将来にかかっていると思います。

 三番瀬と三番瀬を愛する人々を、生涯愛してやまなかった大浜和子さんの冥福を祈りながら


参考文献:
Finlayson, M. & Larsson, T.(Ed.) (1991)"Wetland Management and Restoration -Proceedings of a Workshop, Sweden, 12-15 September 1990" SwedishEnivoronmental Protection Agency.Streever, B. (1999) "Bringing Back the Wetlands" Sainty & Associates PtyLtd., Australia.Hey, D. L. & Philippi, N. S. (1999) "A Case for Wetland Restoration" JohnWiley & Sons, Inc.





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