ありがとう大浜清さん

〜偲ぶ会を盛大に開催〜


三番瀬を守る連絡会 代表世話人 中山敏則
(千葉県自然保護連合 事務局長)

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 「大浜清さんを偲ぶ会」が2023年9月30日、習志野市菊田公民館で開かれた。
 大浜さんは2023年6月9日に逝去された。96歳。大浜さんは優れた実践活動家だった。「千葉の干潟を守る会」や「三番瀬を守る署名ネットワーク」の代表などをつとめ、東京湾の干潟保全に尽力された。盤洲干潟、谷津干潟、三番瀬の埋め立てを中止させる運動を牽引した。千葉県自然保護連合や日本湿地ネットワーク(JAWAN)の結成にも貢献された。全国自然保護連合の理事長(代表)もつとめた。
 偲ぶ会は千葉の干潟を守る会が主催し、千葉県野鳥の会、三番瀬を守る会、三番瀬を守る署名ネットワークなどが協力した。参列者は55人。多くの方が大浜さんの懐かしい思い出や感謝の言葉を語った。私も三番瀬を守る連絡会の代表世話人や千葉県自然保護連合の事務局長などとして大浜さんの偉業をたたえさせていただいた。


盤洲干潟の埋め立てを中止

 1971年3月、千葉の干潟を守る会が誕生する。代表は大浜さんがつとめた。大浜さんたちは、「魚介類や鳥たち、そして私たち人間自身のために干潟を守ろう」と運動した。
 東京湾の埋め立て中止と干潟の保全を求める請願を国会に提出する。請願は1972〜73年の国会で採択された。これによって盤洲干潟(小櫃川河口干潟)の埋め立ては中止になった。
 盤洲干潟は木更津市の海岸に広がる。砂質干潟としては日本最大級の規模を誇る。


谷津干潟を保存し、ラムサール条約湿地に登録

 千葉の干潟を守る会は谷津干潟の保全運動もくりひろげた。習志野地先の谷津干潟は大蔵省所管の国有地だった。そのため公有水面埋立法では埋め立てることができない。だが習志野市が埋め立てを計画する。
「守る会」はこの干潟を「谷津干潟」と命名し、埋め立て反対運動を進めた。周辺住民も立ち上がった。世論を味方につけた運動が実り、市は埋め立てを断念する。1984年である。1993年6月、谷津干潟は干潟としては日本初のラムサール条約湿地に登録された。


三番瀬埋め立て計画を白紙撤回

 三番瀬は東京湾の奥部に残る貴重な干潟・浅瀬である。1993年3月、千葉県が三番瀬の埋め立て計画を発表する。目的の一つは、国策の第二東京湾岸道路を三番瀬に通すことだった。
 大浜さんたちは「三番瀬の埋め立て計画撤回」を求める署名運動を開始した。1996年2月である。その目的について大浜さんはこう述べた。
    「行政が知らせようとしない開発計画を市民に知らせる。そして、三番瀬の貴重さと、それを失うことの意味を考えてもらい、一人ひとりの意思を表明してもらうことがねらいである」
 大浜さんたちは署名を10万以上集めるために幅広い共闘組織を結成した。「三番瀬を守る署名ネットワーク」である。この共闘組織には、自然保護団体だけでなく、レジャー団体、団地自治会、消費者団体、労働組合など65の団体が結集した。市民も多数加わって多彩な活動を活発にくりひろげた。さまざまな団体への働きかけ、街頭宣伝、行政交渉、デモ行進、集会、現地観察会、コンサート、写真・絵画展などだ。三番瀬で手をつなぎ、埋め立て計画の白紙撤回を訴える「人間の鎖」には500人の市民が参加した。白紙撤回を求める署名は30万人に達した。
「三番瀬を守ろう」の訴えが県民の心をとらえた。2001年春の県知事選では三番瀬埋め立て計画が最大の争点になる。そして三番瀬埋め立て計画の白紙撤回を唯一の公約に掲げた堂本暁子氏が当選した。「埋め立て反対」の声が、単なる主張や批判にとどまらず、物質的な力に転化したのである。
 三番瀬埋め立て計画は白紙撤回になった。2021年9月である。世論の力に依拠することを重視した運動が実を結んだ。


大浜さんの偉業を受け継ぐ

 大浜さんは盤洲干潟、谷津干潟、三番瀬の保全運動を牽引した。これらの運動には貴重な教訓がつまっている。「このようにすれば自然破壊を阻止できる」「こうやれば自然や景観を守ることができる」ということである。
 大浜さんは、どうすれば状況を自分たちにとって有効に動かし得るかを考え、それを実践した。リアリズムに徹する人だった。世論をつくり、世論に依拠することの大切さを強調した。とくに第二東京湾岸道路のような国策がからむ公共事業の場合は行政訴訟を起こしても勝算は千に一つもない。そういう認識であった。裁判所は権力機構の一部であり、行政に勝たせるからだ。最高裁の長官・裁判官や高裁・地裁の裁判官は、憲法や裁判所法にもとづき内閣が実質的に任命する。大浜さんは、大衆運動こそ民主主義の原点であると強調した。
 私たちは大浜さんたちの偉業を受け継ぎ、三番瀬を通る予定の第二湾岸道路の建設を30年間も阻止しつづけている。運動の基本は「世論を味方につける」「さまざまな方法を駆使する」である。私たちはそれを誇りにしている。大浜さんたちが尽力してくださったおかげでもある。感謝の意をささげたい。
(2023年11月)








「大浜さんを偲ぶ会」で長男・伸夫さんのあいさつを聞く参列者
=2023年9月30日、習志野市菊田公民館





大浜清さんを偲ぶ展示に見入る参列者=同上





大浜清さん





『東京新聞』千葉版、2023年10月3日











谷津干潟の近くに位置する習志野市の袖ヶ浦団地では、
埋め立て反対のポスター「寄り目のハゲ坊主」が3000戸の窓に吊された




千葉の干潟を守る会などの埋め立て反対運動で残った谷津干潟。
干潟としては日本初のラムサール条約登録湿地となった




市民500人が三番瀬で手をつなぎ、「人間の鎖」で埋め立て計画撤回を訴えた。
参加者の大半は若者だ=1998年11月15日




同上




千葉県知事選挙の最中に市川市の繁華街でおこなったデモ行進。「三番瀬を守ろう」
「ムダな公共事業ストップ」を市民に訴えた。選挙では三番瀬埋め立て計画の白紙撤回を
唯一の公約に掲げた堂本暁子氏が当選し、埋め立てを中止した=2001年3月11日




2001年春の千葉県知事選挙で朝日、読売、毎日の3紙がおこなった県民世論調査の結果。
いずれも三番瀬埋め立て反対が過半数を占めた






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