「船橋海浜公園前の三番瀬=人工干潟の成功例」は大間違い! 

〜失敗に終わった人工海浜計画〜

千葉県自然保護連合事務局


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 三番瀬は、101ヘクタール埋め立て計画が中止となり、「再生計画」の策定が焦点となってきた。
 堂本知事は9月県議会あいさつのなかで、101ヘクタール埋め立て計画の中止を表明するとともに、「これからは第二段階として、具体的な計画の策定に入ってまいります」「具体的な再生計画は、東京湾と同様の大都市圏において環境保全と回復に成功したサンフランシスコ湾の再生計画なども参考にしながら、『千葉方式』として国の内外に誇れるようなものにしたい」「専門家だけでなく、地元住民、環境保護団体、漁業関係者等の方々の参加を得て、具体的な再生計画を策定してまいります」と言明した。
 この方針を受けて、新聞は、さかんに「三番瀬の再生」や「自然再生」「環境修復」などをとりあげている。報道内容をみると、人工干潟の造成をあおりたてていると思えるものもある。

 気になるのは、「船橋海浜公園」(のちに「ふなばし三番瀬海浜公園」と改名)前の三番瀬が人工干潟の成功例として報道されだしたことである。たとえば、9月28日付けの『読売新聞』は「人工干潟 少ない成功例」、10月4日付けの『毎日新聞』(いずれも千葉版)は「三番瀬・再生計画──知事『豊かな海』へ意欲」という見出しをつけ、同公園前を人工干潟の成功例としてとりあげている。


   船橋海浜公園前の人工海浜計画は失敗!
    〜自然の姿に戻ろうとする三番瀬の力強さの前にあっけなく敗北〜

 とくにひどいのは、『読売新聞』の記事(別掲)である。この記事は、重要な問題を欠落させている。

 その第1は、県による人工海浜計画は失敗したということだ。船橋海浜公園前の砂浜は、県が1970年代、もともとあった干潟を浚渫して船橋航路と市川航路を結ぶ「分岐水路」(横引き航路)として利用したところである。ところが、深い航路に立つ波の力が激しく、前面の天然干潟の砂を流して航路を埋めてしまうため、航路をくり返し浚渫しなければならなかった。また、1974年の台風で、埋め立て地側の垂直護岸がいたるところで倒壊した。自然の力にはかなわなかったのだ。そのため、県はついに「分岐水路」を廃止し、1979年から2年をかけてここを埋めもどしてしまった。
 重要なのは、その際、もともとの干潟よりも高く盛り土し、50分の1の勾配でつくったのが、波の作用で勾配が120分の1になるまでに削られてしまったことである。この点については、1998年8月20日付けの朝日新聞(千葉版)がこう記している。
「かつて公園(船橋海浜公園)に面した遠浅の海を、沖合350メートルにわたって人工海浜とする計画が進められ、大量の土砂が運び込まれた。ところが、数年のうちに土砂は激しい潮の満ち干で削られ、いま残る砂浜はわずかしかない。自然の姿に戻ろうとする三番瀬の力強さの前に、人知はあっけなく敗れた」
 つまり、県による人工海浜計画は見事に失敗し、ただの埋め戻しになってしまったのである。このことは、三番瀬においても、人間が思いどおりに人工干潟をつくることは不可能ということを示している。

 第2は、埋めもどし部分の前面に天然の干潟が残っていたために、埋め戻した箇所にも底生生物が生息し、シギやチドリなどの水鳥が飛来したり潮干狩りも楽しめるようになったことである。つまり、ここは、もともとあった干潟をいちど浚渫し、その後に埋め戻したもので、全国各地で進められている人工干潟(海浜)とはまったくちがうのである。

 第3は、記事は、「(県企業庁の)調査では、この人工干潟0.1平方メートルに生息するアサリの量は32グラムで、三番瀬の他の場所と同じ水準」と書いているが、これも事実と違う。この箇所に生息している生物は、前面の天然の干潟や浅瀬と比べると、ずっと少なくなっている。この点は、たとえば風呂田利夫・東邦大学教授も、「(天然の)三番瀬と比べると生物の種類数、生息量は貧弱である」(『水情報』Vol.18、No.5、1998年)と指摘している。

 第4は、あたかも、この箇所にたくさんのアサリが生息し、潮干狩りに利用されているかのように書いているが、これも読者を誤認させるものだ。潮干狩りに供されているアサリはここで生息したものではなく、他から運んできてまいたものである。

◇              ◇

 以上、記事が欠落させている重要な問題を指摘した。
 サンフランシスコ湾の人工湿地造成を「環境保全と回復の成功例」としたり、船橋海浜公園前の三番瀬を「国内における人工干潟の数少ない成功例」とすることは、「自然再生」などをうたい文句にして猫実川河口域(三番瀬の市川側)を埋め立てて人工干潟を造成しようとすることの世論づくりにつながると思う。注意や批判が必要だ。

(2001年10月、文責:中山敏則) )



 









1979(昭和54)年当時の船橋側の三番瀬(市川市側から撮影)。
船舶航行中の航路(埋め立て地先。写真の中央)は、
県が干潟(三番瀬)の一部を浚渫してつくった分岐水路である。
分岐水路はその後、市川航路の浚渫土砂で埋めもどされ、
「市民の浜辺」として利用されるようになった。
この浜辺は、前面(写真では右側)に天然の干潟が残っていたために、
底生生物が比較的多く生息するようになった。








現在の船橋側の三番瀬(千葉市側から撮影)。
分岐水路(航路)は1981年に市川航路の浚渫土砂で埋めもどされ、
「市民の浜辺」として利用されるようになった。







読売新聞の記事



〈『読売新聞』千葉版 2001年9月28日付より〉

    三番瀬 保全と再生(中)

    人工干潟 少ない成功例


 「具体的な再生計画を策定していきたい」。堂本知事は26日の県議会で、三番瀬の再生を進めることを表明した。だが、干潟修復や自然再生の技術は、どこまで進んでいるのだろうか。
 県内には、国内でも数少ない、ほぼ成功といえる人工干潟がある。県企業庁が整備した船橋海浜公園(船橋市潮見町)の干潟だ。この場所は、かつて船橋航路の一部だった。同庁は1979年度から2年間をかけて、別の航路の浚渫土を使って埋め戻して人工干潟を造り、修復を試みた。
 同庁の調査では、この人工干潟0.1平方メートルに生息するアサリの量は32グラムで、三番瀬の他の場所と同じ水準。生物によって差はあるが、多様な生物が住む環境の回復に、ある程度成功した例と言えそうだ。5月のゴールデンウイーク、人工干潟は大勢の潮干狩り客でにぎわい、市民の憩いの場にもなっている。
 「設計をきちんとしたことや、砂の入れ方も工夫したことが良かったのでは」。同庁臨海建設課・葛南地区計画室の弘山知直室長は分析する。
 当時、同庁では人工干潟に置く砂のこう配率を、潮流で砂が流されることまで予測して定めた。さらに、人工干潟の砂に生物が生息しやすくするために、航路の浚渫土を1年ほど、海に沈めてならし、干潟の表面は貝の生息に適した富津地方の砂で覆う工夫もした。
 技術の粋を集めて作った人工干潟だが、それでも弘山室長は「砂が沖に流出しないか、やってみないとわからないところもあった」と語る。(後略)





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