三番瀬公金違法支出訴訟と三番瀬貸付金返還訴訟の

 歴史的意義




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◆三番瀬公金違法支出訴訟

 この訴訟は、三番瀬埋め立て計画をめぐる不正な公金支出にメスを入れるものであった。

 戦後の1950年代後半から80年代にかけて、東京湾の干潟はかたっぱしから埋め立てられた。漁業権さえ放棄させれば、行政は自由に埋め立てができた。1950年代と60年代は、県と大企業などが漁民を札束でひっぱたいたり、脅かしたり、ペテンにかけたりして、漁業権をつぎつぎと放棄させた〈注〉


 ところが70年代になり、「東京湾をこれ以上埋めるな」という市民運動が高まった。臨海部工場による公害も激しくなった。「諸悪の根源は埋め立て」という批判も強まった。「海はだれのものか」という問題意識も高まった。海は漁民だけのものではない。それなのに、漁民(じっさいは漁協)に補償金を払うだけで埋め立ててよいのか、ということが問題になったのである。従来のやり方では埋め立てができなくなった。

 そのため、県は漁業協同組合との癒着を強めた。漁協に不正な公金を支出したり、不明朗な取り引きをすることで、埋め立てを円滑に進めようとしたのである。転業準備資金問題はその象徴だ。

 転業準備資金問題は、三番瀬埋め立て計画が策定されていない段階で、埋め立てを前提とし、市川市行徳漁協に融資したものである。名目は「転業準備資金」であった。1982(昭和57)年、県企業庁は市川市行徳漁協、金融機関の間で密約(三者合意)を交わした。この密約にもとづき、金融機関が約43億円を融資した。その利息は企業庁が肩代わりすることになっていた。この融資は漁業権を放棄した場合にみあう補償金相当額であり、脱法的な事前漁業補償であった。

 1999年11月、その事実が突如として明らかになった。企業庁は2000年2月、利息分として約56億円の支出を予算化した。そのため県民21人がその支出を違法とし、同年6月29日、千葉地裁に提訴した。三番瀬公金違法支出訴訟(「三番瀬ヤミ補償裁判」)である。

 2005年10月25日、千葉地裁の判決が下りた。判決は「三者合意には瑕疵(かし)がある」と指摘し、三者合意の違法性を認めた。しかし、利子肩代わりは「企業庁長の裁量内」とし、当時の沼田武知事と中野英昭・県企業庁長に対する損害賠償請求は却下・棄却した。

 企業庁は2008年11月、東京地裁の調停委員会の提案にもとづき、計66億円を市川市行徳、南行徳の両漁協に支払った。


◆三番瀬貸付金返還訴訟
  (市川地区漁場改善事業に関する貸付金返還訴訟)

 市川市行徳・南行徳両漁協は、1982(昭和57)年から86年にかけて「市川地区漁場改善事業」を実施した。事業の内容は人工干潟「潮干狩り場」(養貝場)の造成である。

 この事業は両漁協の自主的な収益事業である。しかし、事業は失敗した。アサリが育たなかったのである。両漁協は1993(平成5)年11月、事業にかかる経費(6億2200万円)を企業庁が負担してほしいと要望した。内訳は、自己資金1800万円、借入元金3億8900万円、発生利息2億1500円である。企業庁は、三番瀬埋め立てを円滑に推進するため、県信用漁業協同組合連合会(信漁連)に対し、1993年度末までに5億5000万円を無利子で貸し付けた。5億5000万円の内容は、両漁協が信漁連から借りた3億8900万円とその利息の一部である。

 その後、漁協と信漁連は企業庁に対し、5億5000万円の貸付金を棒引きするよう求めた。しかし企業庁は、「法的に明確な形で解決したい」として2011年8月、全額返済を求めて提訴した。三番瀬貸付金返還訴訟である。

 企業庁の提訴は、従来の裏取り引きによる不明朗なやり方から決別する意思を示したものとして評価される。その背景には、三番瀬公金違法支出訴訟において「三者合意には瑕疵がある」の判決を勝ち取ったことがある。
(文責/三番瀬を守る連絡会 中山敏則)






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